新実彰平氏インタビュー(3)「僕は1位になれなかったアナウンサー」次こそ心に飛び込む言葉発したい
衆院選の応援で、自身の課題も見えてきた。似て非なるキャスターと政治家の資質。しかし、同じなのは人の話をしっかり聞くこと。メディアという代弁者から、人の心を動かす主張ができる政治家を目指す。(取材・構成 江良 真) 【写真】来夏参院選出馬を表明した新実彰平氏 ◆◆ 初の演説に課題いっぱい ◆◆ 衆院選で初めて応援演説をしたんですが、まだなんかこれまでのキャリアの延長戦でやっちゃったなっていう感じでしたね。つまり説明なんです。この方はこういう人です、この方はこういう思いを持ってやってます、この方はこういうキャリアでこういう能力があります、維新の政策はこうです、という風に皆さんにご説明していた。これはキャスター時代にやっていたことなんですよ。社会で起きていることを分かりやすくして理解してもらう。そこにとどまっていました。 でも、選挙となるとこれだけではいけない。私自身の覚悟とか、私自身の思いとか。訴えかけて人の心を動かさないといけない。説明だけにとどまらない、ほんまに人の心を動かせる言葉っていうのは何なんだろうというところは、これから磨いていかないといけないですね。 ただ、正直、思ったよりご認識いただいているんだなと思いました。テレビって数字は見えても、どこまで本当に見てもらえているのかとか、僕のことを認識してもらえているのかとか、僕の言葉が届いているのかってよくわからない。でも、僕の人となりとか、人柄とか、あるいは言葉みたいなものは思ったより皆さんの中に残ってたんだなっていうのは感じました。これからは、その人間が政治家をやるんだという説得力に変えていかないといけないんです。 これだけご認識をいただいて、多少なりとも、こいつどうすんやろ、何すんやろって思っていただけてることは、めちゃくちゃありがたいです。維新支持の方々は頑張って!と声をたくさんかけていただきましたけど、そうではない方は、何で維新なん?とか、なんで辞めてしもたん?とか、アナウンサーとしてのあなたが好きやったのに、という方も当然いらっしゃいました。 これもさっきの演説の話と一緒で、キャスターという代弁者ではない自分の主張をどう伝えていくか。そうやっていろんな方々の心を動かしていかないといけない。それを磨いていかないといけないなって思わされますよね。 ◆◆ 小難しいことを噛み砕いて言う能力はあったけど ◆◆ 現状、説明力、分かりやすさ、あるいは共感みたいなものはこれまでの延長線上で一定程度できるんだろうなとは思ってます。でも、情熱とか分かりやすさ、スパーンとこうなんです!っていうものをどこまでシャープにしていけるのか。これがまだ明確になってないんです。手応えもまだない。それがなかったから、番組も跳ねきらへんかったと思うんですよ(笑い)。 小難しいことをちょっと噛み砕いて言う能力は多少あったかもしれないですけど。こうなんですってポンって心に飛び込んでいく一言とかは、あんまり強くなかったのかなって思います。人をパンって引きつける太陽みたいな光は放ててなかった。鈍く皆さんを照らして、なんとなく居心地のいい場所は作れてたかもしれないけど、パーンと振り向かせる、心に飛び込む言葉みたいなのはなかったタイプのアナウンサーだったんでしょうね。2位にはなりました。だけど1位にはなれなかったっていう感覚です。 だから、時にはそういう力強い言葉もいるよなあっていう。もちろんこういうのって、たぶん経験なんでしょうね。自分の中で今やりたいこととか作りたい世界はあるんですけど、ここにもっと肉付けをしないといけない。もっとたくさんの人の話を聞いて、自分の言葉に、顔が見える言葉にしないといけない。 キャスターの時もそうでした。取材をして、その人の顔が見えて話す言葉と、知識だけの言葉では全然重みが違うという経験をたくさんしてきました。言葉に熱が乗っているなと思う時って、やっぱり顔が見えている時でした。 玉木さんの103万円の壁だって減税策として打ち出してますけど、ご本人もおっしゃっていますが、選挙戦でたくさんの学生バイトとか、その親とか、バイト雇ってるカラオケの店長とか、いろんな人に現状を話しかけられたから血が通ったんだと思います。その壁によって、どれだけ就業制限が起きて、年末に人手不足が起きてるのか、親や配偶者が税負担が増えないように働くなって止められてるのか。そんな生の声を聞いてどんどん肉付けされた結果だったと思います。 実際に誰かを助ける政策に昇華させて語ってる時は、やっぱり熱の乗り方が違うし、確信が違うし、迷いがなくなる。一時が万事、あらゆる政策によって、それをやらないといけない。僕はいま、そう思っています。=終わり ◆新実彰平(にいみ・しょうへい)1989年(平1)4月10日生まれ。京都市出身の35歳。京都大学法学部卒業。大学時代は野球部に所属。捕手として活躍し11年の関西学生野球春季リーグで並み居る野球エリートを抑え首位打者となった。12年4月に関西テレビ入社。17年3月に「みんなのニュース 報道ランナー」でキャスターに就任。在阪テレビ局で平成生まれのアナウンサーが夕方報道番組のメインキャスターを務めるのは初めてだった。23年3月に番組降板後はさまざまな分野で活躍。同年11月の関西決戦となった日本シリーズ第7戦で実況を務めた。今年10月、関西テレビを退社。現在は日本維新の会に所属し、来年の参院選出馬を目指している。