「街のお肉屋さん」の和牛が世界31カ国で大ヒット!? 「敬語を使えなかった」若手の後継者、売り上げ100倍に躍進させる
◆迷って6年、いけると思った理由
「全くノーマークだったので、驚きました」。 入社も結婚も迷いました。 食肉産業の経験はまったくなく、「街のお肉屋さん」を「自分がやる意味があるのだろうか」としばらく悩んだそうです。 しかし、英毅氏は、ベトナムでファンド事業に関わっていたとき、日本の食品や日用品の人気が非常に高かったことを思い出します。 当時、ベトナムの物価はラーメンが1杯200円程度。 それでも、お菓子やインスタント食品をはじめとして、日本の食料品は高価でも売れることが印象に残っていました。 投資事業をしていた英毅氏は、独自に「和牛」のマーケットの可能性を調査します。 すると、「これは、大手に負けずに行けるんじゃないかな」。勝機が見えました。 妻も、いつしか家業を守っていきたいという思いを強くしていました。 そして14年、英毅氏は結婚して「大西」に名字を変え、17年に銀閣寺大西に入社します。
◆商社に頼らず、独自の物流システムを
当時の銀閣寺大西は、2015年に京都府の依頼で、シンガポールの展示会に出店したことを機に、小規模な輸出を続けていました。 年間の海外売上げは1500万円ほどでした。 英毅氏は、社長の後押しも得て、自身の強みを生かした海外展開を本格的に進めます。 英毅氏が勝機を見出したのは、物流の仕組みでした。 日本の食肉業者は、輸出入のノウハウを持っておらず、大手商社を介して各国に輸出していました。 当然、商社や卸業者への中間マージンが必要になります。 そこで、現地の物流システム自体を作ることにしました。 「敬語」は苦手でも、英語は母語のようなもの。2019年にシンガポールに現地法人を立ち上げ、直接小売店やレストランにまで卸すシステムを作り上げ、価格面のアドバンテージを獲得しました。 コスト面だけではないメリットもありました。 多くの業者を挟まないことで、「和牛」のブランド価値や「食べ方」という情報を消費者までダイレクトに伝えることができ、ブランドの確立にもつながりました。