50歳で不妊治療に終止符「仕事を1年休み…いつしか自己注射が日常に」ハイヒール・リンゴ 15年目の決断
不妊治療が一般的に知られるようになる以前の1990年代から15年もの間、治療を続けたというお笑いコンビ・ハイヒールのリンゴさん。12年前に治療を卒業するまでの経緯を聞きました。(全4回中の2回) 【写真】「今はすっかりスリムになりましたね」ぷっくりしたほっぺがかわいい小学生時代のハイヒール・リンゴさんから今も若々しいコンビのツーショットまで(全11枚)
■2年で妊娠できず治療スタート「まさかこんなに長びくとは」 ── どのようなきっかけで治療を始めたのですか? リンゴさん:子どもが欲しかったのに、なかなかできなかったので。当時から「子どもを望んでいるにもかかわらず、2年間妊娠できない場合は不妊に当てはまる」という認識はありましたから。とはいえ、治療を始めた当初は、ここまで長くかかるとは思っていなかったです。軽い気持ちで病院に行きましたね。
── 東京都では現在、不妊治療をしていて一定の条件に当てはまる人は補助が受けられるようになりました。リンゴさんが治療をされていた当時は基本的に自費診療だったと思いますが、金銭面でのハードルは感じませんでしたか? リンゴさん:不妊治療はいくつか段階があるんです。最初にタイミング療法、次に人工授精、それでも難しかったら体外受精や顕微授精。治療の段階が進むにつれて、かかる金額も変わっていきます。でも当時は、そこまで高額な治療をするつもりはありませんでした。
── いろいろな治療にトライされたのですか? リンゴさん:結果的にそうなりました。なるべく治療費が軽減されるように配慮してくれた先生もおられたし、最初から体外受精を勧める先生もおられました。体外受精の場合、受精卵の培養の過程で卵が育たずキャンセルせざるを得ないこともあるのですが、ここまでの費用はこれだけかかりますって高額な請求が来たり。今とは違ってインターネットで情報が簡単に得られなかったから、決断するのが難しかったです。
── ご自分で不妊治療の情報を集めて、治療ができる病院を探すだけでも大変だったでしょうね…。 リンゴさん:今振り返って思うのは、不妊治療は本当に先生との相性が大事だということ。どんなに名医に診てもらっても、信頼関係ができていなかったらやっぱり最後まで任せられないんですよね。 ── セカンドオピニオンを求めて、転院も経験されたのですか? リンゴさん:はい。当時は病院の設備に限界があって、すべての病院で高度な不妊治療が受けられるわけではなかったんです。周囲の信頼できる人に相談して転院したこともあるし、「この病院で治療するのはこれ以上は無理だな」って自分で判断して病院を変わったこともありました。
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