元巨人・小笠原道大「勝つことよりも大切なことがある」身体障害者野球チームのGMとして考えたこと
「GMとして障害者野球に貢献したいです」
右手にはめたグラブで捕球。すぐにグラブを外し右手でボールを持ち直すと、キャッチャーへストライク送球――。 【画像】元巨人・小笠原道大 「ナイスキャッチ!」と自ら選手へノックする姿が…! 華麗なプレーを見せるのは、身体障害者野球チーム『千葉ドリームスター』の選手たちだ。事故で片腕を失ったり病気で車イス生活を強いられるなど、大きなハンデを負いながらも野球を楽しんでいる。 「選手たちは、こちらが驚かされるスゴいプレーをします。障害で動きが制約されても、どんな身体の使い方をすれば良いか考えている。普通は健常者(けんじょうしゃ)が打った強いボールを、簡単には捕れませんよ」 ノックバットを手にこう語るのは、同チームのGM・小笠原道大(みちひろ)氏(51)だ。現役時代「ミスターフルスイング」の愛称で、プロ通算2120安打、378本塁打を記録。在籍した巨人では、7年間で日本一2回、リーグ優勝5回の常勝軍団を支えた(以下、コメントは小笠原氏)。 「昨年までは、巨人のコーチなどの仕事でなかなか顔を出せませんでした。退任した今年は僕にとって再スタート。GMとして障害者野球に貢献したいです」 ◆『ミスターフルスイング』の夢 球界を代表する強打者だった小笠原氏は、なぜ障害者野球にたずさわるようになったのだろう。キッカケは現役時代の16年前、’08年オフにさかのぼる。 「テレビ番組の企画で、兵庫の障害者チーム『神戸コスモス』の練習を見学したんです。皆さん目が輝き、一途でね……。胸を打たれました。僕にも身体の不自由な知人がいて、以前から障害者の方に野球で貢献したいと考えていたんです」 小笠原氏も障害者野球に協力しようと、地元・千葉でチームを探すが見つからなかった。そこで友人たちと協議。’09年に発足したのが『千葉ドリームスター』の前身『市川ドリームスター』だった。 「当初集まったのは2~3人で、未経験者の人もいました。東京などから障害者野球の選手がサポートに駆けつけ、ボールの投げ方、バットの握り方などイチから教えてくれたんです。スタッフが街でチラシを配り、インターネットで募集をし、徐々に選手が増えていきました」 市川市以外からも参加者が増え、’20年にチーム名を『千葉ドリームスター』に改称。現在は、10代から50代の選手約30人が在籍している。今年11月には、2年ぶりに全国から勝ち上がった7チームが参加できる全日本選手権にも出場した。 「チームには事故などで、後天的に障害者になった選手も多い。突然、今まで送ってきた『普通の生活』ができなくなってしまうんです。絶望して、心が塞(ふさ)いでしまうケースもあると聞きます。そうした人たちに野球で明るくなってほしい。障害者野球には、勝つことよりも大切なことがたくさんあります。楽しんでプレーし、生きがいにしてほしいんです」 小笠原氏には夢がある。 「障害者チームは現在、全国に38しかありません。ゆくゆくは47都道府県にチームができ、甲子園のような全国大会を開きたい。裾野(すその)を広げたいんです」 『ミスターフルスイング』は、第二の人生の目標に壮大なプランを描いている。 『FRIDAY』2024年12月13・20日合併号より
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