池上季実子、激動の芸能生活50年 親の離婚騒動、自身の離婚…「好きなことをやってここにいる」
映画『太陽を盗んだ男』は「無茶苦茶な現場でしたよ」
10代の頃は大林宣彦監督の商業デビュー作『HOUSE ハウス』(1977年)で初主演したのをはじめ、高倉健主演の『冬の華』(1978年)、水谷豊主演の日本テレビ系ドラマ『熱中時代』(1978~1979年)の妹・青空役、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(1979年)などに出演。 日本映画ベストテンの上位に輝く『太陽を盗んだ男』は小型原爆を作った中学教師(沢田研二)と刑事(菅原文太)の対決を描くアクション。池上は主人公と行動を共にするラジオDJ・ゼロを演じた。 「『太陽を盗んだ男』の現場は無茶苦茶でしたよ。3日間、撮影所で徹夜の撮影というのもあって、その間に助監督が何人も逃げて、その一人は小道具を持っていってしまい、中断ということもありました。堤防からヘドロの東京湾に投げ込まれるそうになって、マネジャーがキレたことも。『濡れると困るので、ぶっつけ本番だ』と言われたんですけど、助監督がテストで飛び込んだら、『これは無理です』って。そんな話ばかりです。私はそんなに出番が多い方じゃなかったので、よかったけど、沢田さん、文太さんは大変だったと思います」 20代になってからは『陽暉楼』(83年)で第7回日本アカデミー賞主演女優賞、『華の乱』(88年)では第12回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞している。テレビでも主演を張るようになり、勝ち気なヒロイン役が印象深い。私生活では結婚、出産、離婚も経験した。『森田一義アワー 笑っていいとも』で“池上季実子ゲーム”と言われる早口言葉コーナーがあったのも80年代だ。 「“赤巻紙 青巻紙 池上季実子”って早口言葉で3回言うやつですよね。私はめちゃめちゃ忙しかったので、全然知らなかったんです。そのコーナーが終わるので、『締めとして出演してください』と言われて、出たんですけど、私は言えなくて、トチリましたよ(笑)」 今年、主演した舞台『CHICACO 2024 Episode2』に心に刺さった言葉がある。 「私の旦那役(川端槇二)のセリフで、『好きなことで誰かを守れるって、並大抵のことじゃないよ』というのがあるんです。私も好きなことをやって、母子家庭にしちゃって、子どもを育てて、今ここにいる。コロナ禍では、芝居の世界から去っていく俳優の卵たちを何人も見ましたが、自分は好きなことを50年もやり遂げられている。これは、本当にありがたいことだし、感謝だなとすごく思います。だから、余計にもっともっと一生懸命やらなきゃ、という自分がいます」 死にかけて、「天国のお花畑を見た」と語る池上は、女優として、人間として、さらに強くなったようだ。 □池上季実子(いけがみ・きみこ)1959年1月16日生まれ、アメリカ出身。1974年、ドラマ『まぼろしのペンフレンド』でデビュー。映画『はだしの青春』(75年)、映画『太陽を盗んだ男』(79年)、ドラマ『男女7人夏物語』(86年)、ドラマ『ラジオびんびん物語』(87年)、ドラマ『苦い蜜』(10年)、ドラマ『科捜研の女(第15期)』(15年)、映画『ミックス。』(17年)、NHK大河ドラマ『草燃える』(21年)など。『陽暉楼』(83年)で、第7回日本アカデミー賞主演女優賞、『華の乱』(88年)で第12回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞している。
平辻哲也