【カープ名スカウトの証言】桑田、清原らと同学年。無名ながらも「すごい高校生」と目を引いていた右腕・佐々岡真司
各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がレジェンドたちの入団秘話を語った広島アスリートマガジン創刊当時の人気連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。 【写真】第一印象は「大人しい子」だったという黒田博樹球団アドバイザー 今回は、1989年のドラフトでカープが単独1位指名に成功し、後のエースとして活躍した佐々岡真司(前カープ監督)獲得秘話をお送りする。 ◆単独指名に成功した「4年越しの恋人」 佐々岡は、学年では佐々木主浩(元横浜など)や桑田真澄(元巨人など)、清原和博(元巨人など)と同じです。甲子園で活躍した彼らとは違い、佐々岡には目立った戦績はありませんでした。 ただ、「浜田(島根県)にすごい球を投げる高校生がいる」という話は私たちも当然知っていましたし、広島から近い事もあり、最初はチーフだった私が自ら担当しました。登板しない日にはショートも守り、バッティングも3、4番を打つなど素晴らしいものがありました。 彼は高校最後の夏の県大会以前に、広島市のNTT中国への就職が内定していました。『相手が同じ広島の会社ならば、話をすれば指名できたのでは』と思われるかもしれませんが、カープとしてはそれはできませんでした。なぜならチーム自体が、NTT中国さんに大変お世話になっていたからです。 1985年当時はまだ由宇練習場がなかった頃で、二軍は時々このNTT中国のグラウンドを借りて練習させてもらっていました。球団としては本当は高校卒業後すぐ獲得したかった選手だったのですが、日頃からお世話になっている所にさらに迷惑をかけるわけにもいかず、指名を諦めることになりました。高校の野球部の監督さんに「(高校から社会人入りした選手をドラフトで指名できる)3年後にまたご縁があったらよろしくお願いします」と言って、その年は別れました。 社会人生活を経て、1989年にようやく1位で単独指名ができ、獲得にこぎつけました。浜田商高卒業から4年後のことです。この4年間でもともと速かったストレートに加え、プロ入りしてからの決め球となったスライダーとカーブを覚えたのが大きかったですね。力まかせでなく配球を考えて投げるようになり、投球自体も完成されていきました。 私は当然、彼がNTT中国入りしてからも、引き続きマークしていました。NTT中国の練習や試合はもちろん、入社3年目から選ばれた全日本チームの浜松合宿にも足を運びました。ただ、指名した1989年については、当時スカウト1年目だった佐伯和司に担当を引き継いでいました。佐伯がNTT中国の野球部側と意気投合したこともあって、『4年越しの恋人』であった佐々岡を、ドラフト1位で単独指名することができたのです。
広島アスリートマガジン編集部