【B級アイドルから一転】SMAPブレイク前夜に飯島三智マネージャーが起こした「歴史的な転換」
南沙織とSMAPの「共通点」
アイドルの歴史は面白い。 「アイドルは南からやって来る」というテーゼがある。1971年、南の島・沖縄から上京した少女・南沙織が『17才』でデビューして、我が国のアイドルの歴史の扉を開いた。 【画像】キー局アナウンサーも…本誌が入手「指名候補・NGリスト」実物写真 70年代末にアイドルのブームは停滞したが、80年春に忽然と九州・福岡から松田聖子が現れる。80年代アイドルブームを巻き起こした。 90年代の〝アイドル冬の時代〟を突破するように、沖縄出身の安室奈美恵が時代の星として輝き、SPEEDがそれに続く。やはり、南からやって来た少女たちが、アイドルの世界を再生させたのだ。 いや~、すごい! アイドルというジャンルを司る「大いなる意志」が存在して、その力によるものじゃないか、と思ってしまう。 ジャニーズ事務所の歴史も同様である。 ジャニー喜多川という天才プロデューサーと、姉のメリー喜多川の辣腕マネージメントによる二人三脚で、一大ジャニーズ帝国を築き上げた。昭和末には光GENJIと少年隊で頂点を極める。 その頃、SMAPは落ちこぼれアイドルだった。歌がヘタで、踊れない。パッとしない。ジャニー喜多川の美意識に叶わない。CDの売れ行きも思わしくなく、ヒットに見放され、さらには歌番組がなくなって、あわれ時代にも見捨てられた。四面楚歌の彼らをなんとかしたい、と手を挙げたのが、いち事務員・飯島三智だ。芸能関係の仕事は未経験。まったくのド素人である。 何から何まで〈ジャニーズの美学〉と正反対だ。これではうまくいくはずがない、と誰もが思った。早晩、消え失せるB級アイドルグループだろう、と。ところが……。 アイドルの歴史は面白い。頂点を極めた人気者が消え去ると、次に現れるのは正反対の属性を持つ者らなのだ。 ◆プライドを捨ててリスタート 恐竜を考えてみよう。かつて地球上を跋扈した巨大生物たち。しかし、跡形もなく恐竜が絶滅して、その後に地球を支配したのは小さな体でさほどの肉体的な能力もない……そう、人間だった。 SMAPはジャニーズ王国の恐竜ではない。 次の時代を担う、小さな人間たちだった。 もちろん飯島三智が戦略的にそう考えてマネージメントしたはずはないだろう。彼女は必死で「やれることをやる」しかなかった。 ジャニーズの先輩たちがやらなかったことをやる。『ザ・ベストテン』も『夜のヒットスタジオ』も、もうない。出られる歌番組がないなら、どうするか? そうだ、バラエティ番組だ! アイドルがバラエティ番組に出ることは、かつてもあった。しかし、歌で売れた後にあくまで余技として出ていたものだ。 まだ一般的に顔が知られる前のSMAPのメンバーが、萩本欽一や加藤茶のバラエティ番組の〝下っ端〟として出ることは異例である。 あるいは単体でオーディションを受けてドラマに出た。主役ではない。脇役である。バラエティ班(中居、草彅、香取)、ドラマ班(木村、稲垣、森)とも言われたが、共にテレビの番組表に名前も載らない仕事をこなした。 それまでの先輩たちなら、やらないことだ。 そう、彼らはジャニーズのプライドを捨てたのである。 『桜っ子クラブ』というバラエティ番組があった(1991~1994年放送、テレビ朝日)。同名の女の子アイドルグループがメインで、SMAPも出ていた。桜っ子クラブのメンバーは、中谷美紀・菅野美穂・井上晴美etc.と、今思えば、すごい。彼女たちが西武園ゆうえんちのプールで、水着姿でSMAPとゲームをやっていたのである! 当時、番組でSMAPを見た私は「えっ、こいつら本当にジャニーズ事務所なの?」と驚いたものだった。 『夢がMORIMORI』は森脇健児と森口博子がメインのバラエティ番組だ(1992~1995年放送、フジテレビ)。二人のMORI(森)に、3番目のMORIが森且行だった。SMAPも出ていたのである。 後に国民的アイドルとなるSMAPが、森脇健児のバック扱いだった(!)というのは、今では考えづらい。 ◆キムタクの大ブレイクは必然 1993年には、フジテレビの「月9」ドラマ『あすなろ白書』に遂に木村拓哉が出演する。しかし、主役ではない。主演の筒井道隆の脇にまわっていた……とは、これまた今では信じられない。 このドラマで木村は、主演の筒井を完全に食って人気爆発へのきっかけを作った。脚本は北川悦吏子。そう、3年後に同じ「月9」で『ロングバケーション』を書くことになる。 同じくフジテレビの先の『夢がMORIMORI』が放送終了後、1996年春には『SMAP×SMAP』が始まる。 SMAPのブレイクは、もう目の前まで来ていた。 落ちこぼれアイドル、SMAPはなぜ大逆転を果たしたのか? 矢野利裕著『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)には「SMAPによるドレスアップからドレスダウンへの転換」という記述がある。 ドレスアップ、そう、光GENJIや少年隊のようなキンキラキンの衣裳は、SMAPには似合わない。ドレスダウン、オシャレな普段着のようなカジュアルな洋服がよく似合う。 バブル期のミラーボールが廻るド派手なディスコではない。ドレスコードがない普段着の脱力したクラブの世界だ。 何から何まで、昭和期の頂点を極めたジャニーズの美学と真逆である。しかし、それが平成の新しい美学になった。 SMAPはかつてのジャニーズ的なスター性を放棄した。いわば、反ジャニーズだ。天才・ジャニー喜多川でも、辣腕・メリー喜多川でもない。素人のいち事務員が彼らを助けた。ジャニーズを否定した者たちが、新たなジャニーズの星として輝く。ジャニーズのプライドを捨てたSMAPこそが、新しいアイドルのプライドを築き上げた。 そうだ。その時、そっと手を差し伸べた者がいる。かつて彼らを見捨てた時代……そう、「時代」こそが、いつしかSMAPの最大の味方になっていたのである。 取材・文:中森明夫
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