1400人あまりが犠牲となった対馬丸の悲劇から80年 記念館が設立された歴史と果たすべき役割
那覇市にある対馬丸記念館が2024年で開館20年を迎えるのに合わせ、2024年6月にシンポジウムが開かれた。 【画像】1400人あまりが犠牲となった対馬丸の悲劇から80年 記念館が設立された歴史と果たすべき役割 多くの子どもたちが犠牲となった対馬丸の悲劇から2024年で80年、記念館が果たすべき役割などについて意見が交わされた。
対馬丸記念館は遺族の大きな拠り所に
対馬丸記念会 外間邦子 常任理事: 子どもたちが命を大事に、夢と希望に向かって歩むこと。対馬丸の子どもたちから今の子どもたちにバトンを渡す場所。それが対馬丸記念館の存在です 姉2人を対馬丸事件で失った外間邦子常務理事は、記念館の果たす役割をこう訴える。 対馬丸記念会 外間邦子 常任理事: この記念館ができたことによって、遺族ともご縁ができて、遺族にとっても対馬丸記念館は大きな拠り所となりました 事件から60年の節目を迎えた2004年に開館した対馬丸記念館。遺族どうしがつながり、共に悲劇を語り継ぐ場として記念館は大きな役割を果たしてきた。 太平洋戦争末期の1944年8月、戦火から逃れるために多くの学童を含む1700人あまりを乗せ、那覇港を出発した疎開船・対馬丸。 鹿児島県の悪石島付近でアメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し、わかっているだけでも1400人あまりが犠牲となった。 1997年、水深およそ870メートルの海底に眠る対馬丸が発見されたが、いまだ引き揚げは実現していない。 事件から2024年で80年、生存者から直接話を聞く機会は少なくなり、遺族も高齢化していて、記憶をどう継承していくかが課題だ。 兄2人が犠牲となった渡口副代表理事は記念館の課題として、海で起こった事件がゆえの「遺品の少なさ」を指摘し「船体や遺品の一部でも引き揚げられないか検討を重ねたい」と今後の展望を語った。 眞榮城善之介 教諭: われわれ教育現場の立場としては、今後も貴重な情報源の拠点として、記念館を継続させてほしいという願いを持っています。われわれ教員や大人は、子どもに伝え繋げるために積極的に記念館を活用し、見聞を広げたり記念館の協力を得たりする努力も必要です