『不適切にもほどがある!』でクドカンが唯一「はっきりと批判的に」描いたもの
顔の見えないコミュニケーションへの不信と懐疑
宮藤官九郎脚本のテレビドラマ『不適切にもほどがある! 』(TBS系、以下『ふてほど』)が、3月29日に最終回を迎えた。本作は、賛否両論の物議を醸しながらも、高いコア視聴率を記録するなど、結果的に1月期最大の話題作となった。 【画像】「濡れ場で女優を守る仕事」ではない!『エルピス』でICが果たした役割 記事の前編では、そんな『ふてほど』が令和のコンプライアンス遵守や多様性尊重の規範に対して、一見、冷笑や逆張りをしているように見えるのはなぜかを考察した。 その背景には、物事を二元論で判断することを留保し、分断ではなく包摂を目指す彼の作家性があることは、前編で指摘した通りである。だが、そんな宮藤が『ふてほど』の中で唯一と言っていいほど明確に対立構図を示し、片方をはっきりと批判的に描いたものがある。 それは、「顔の見えない相手(システムやツール)とのコミュニケーション」と、「顔の見える相手(生身の人間)とのコミュニケーション」の二項対立だ。本作が疑義を呈するのは、もちろん前者のほうである。 第1話では、「♪話し合いましょう」と歌い上げることで「議論よりも対話を」という呼びかけが行われるが、同時に、猫型配膳ロボットが炙りしめ鯖200個の注文を通してしまうというコミュニケーションの齟齬を描くことによって、顔の見えないツールへの懐疑がすでに示されていた。 「運ぶのはロボットだけど、炙るのは人間なんだね」という小川市郎(阿部サダヲ)のツッコミは、顔の見えない相手とのコミュニケーションよりも顔の見える相手とのコミュニケーションを称揚する本作の根幹に関わる指摘だったと言える。 第2話では、YouTubeチャンネルを通じて正論を主張するばかりの谷口龍介(柿澤勇人)が、元妻の犬島渚(仲里依紗)にAIやChatGPTになぞらえて批判される一方で、電話口で「アンタが今して欲しいことが、俺にできることだよ!」と啖呵を切る市郎の姿勢が、渚の胸を打った。 第4話では、LINEのグループチャットが既読ばかりで返信がないことに気を揉む市郎に対して、「♪SNSは 本気で向き合う場所じゃない」と渚たちがなだめる一方で、向坂キヨシ(坂元愛登)がスマホを使わずに小川純子(河合優実)を探し出して落ち合う、アナログなコミュニケーションに感動を覚えるさまが描かれた。 第9話では、属性で絞り込んでコスパ/タイパよくマッチングさせるアプリ恋愛によって出会った秋津真彦(磯村勇斗)と矢野恭子(守屋麗奈)が、結局もの別れに終わってしまう一方で、最終回では市郎のおせっかいという“人力のマッチング”によって、真彦と渚が惹かれ合う将来が示唆された。 他にも第7話では、展開を考察しながらSNSでリアルタイムにつぶやく現代人のドラマ視聴スタイルを、市郎に「そいつら、観てねえだろ!」とツッコませたり、第8話では、コタツ記事とコピペ投稿によってネット世論が捏造されていく流れが、薄気味悪いものとして槍玉に上げられている。どちらも相手は「顔の見えない」ネットの向こう側の者たちだ。