「最期は桐島聡で死にたかった」で思い出す“最も有名な逃亡犯”福田和子が逮捕後に見せた「安堵の涙」
’70年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配され49年にわたり逃亡を続け入院先の神奈川県内の病院で死亡した桐島聡容疑者(享年70)。偽名での逃亡生活にピリオドを打ち、最期は“桐島聡”で死にたかったと供述している。 【衝撃…顔写真あり】「何十年も捜査人員を割くのは不可能」…桐島聡容疑者だけじゃない「重要指名手配犯13人」の素顔写真 「逃亡犯」「通報」で検索をかけると、日本史上もっとも有名な逃亡犯「7つの顔を持つ女」と呼ばれた福田和子元受刑者の名前が出てくる。日本初の懸賞金がかけられ、時効成立21日前に逮捕され、ドラマにもなった。 ’97年7月29日、私は当時大ブームであった双子のご長寿「金さん銀さん」の取材のため、新幹線で名古屋に向かっていた。名古屋駅に着く直前に「福田和子逮捕」の一報があり、当該事件を担当取材していた私が急遽、福井に向かった。 私は約10年にわたり福田和子を取材した。彼女が働いていた金沢のスナックや内妻となった和菓子店。実の息子などにインタビューをしている。 当時出演していた『ナイスデイ』(フジテレビ系)では、時効の同月に放送時間をほぼほぼ使い、日本初の懸賞金導入となった「福田和子 逃亡犯の時効直前特番」を放送した。 そして番組内で 「楽しみにしとるんでしょうが……私が捕まるのを。そんなドジはしない。切るよ、逆探知されたら困る。危ない、危ない……」 という福田の肉声を繰り返し流したのである。 私は逮捕の一報を受けて、直観的に番組視聴者からの通報と思った。確認は取れなかったが、その後の報道などでは通報者が 「ワイドショーの声と似ていた」 と話していることからも、番組での露出が通報に繋がったのは間違いないだろう。 福井について逮捕現場となった「おでん屋」に直行した。各局が集まっていたが在京キー局取材班では一番乗りであった。 ほどなくして各局合同での囲み取材となった。 そして、後日、通報者は単独インタビューに答えてくれた。 私「逃亡犯と確信したのは?」 通報者「テレビの報道で声を聴いて直感した」 私「逃亡犯は逮捕を警戒していなかったのか?」 通報者「逃亡犯という印象は全くなかった。明るくて歌が上手く、普通に暮らしていた。むしろ怪しいと思う前に、本人が“周囲の人から福田和子に似ていると言われることがある”と言っていた。その時には聞き流したが今思うと……」 私「来店頻度は?」 通報者「以前は1年に1回か2回だったが、今年になってから頻度が増えた。怪しいと思ってからも普通に来ていた……」 逮捕の翌日、福田は捜査本部のある愛媛県松山署に新幹線と陸路で護送された。その新幹線に向かう駅のコンコースは、警察官、駅員と報道陣が入り交じり、悲鳴と罵声が飛び交い混乱を極めていた。 各局がいいポジションで福田の表情を撮影するために必死に追いかけた。 福田は両脇を女性警官に抱えられ、頭からタオルをかけられ表情を伺うことはできない。私は人をかき分け、彼女が駅に入ってきた直後から婦人警官の脇に張り付き質問を投げかけた。 答えは返ってこなかったが、あらゆる音が交差する雑踏の中で、福田の“泣き声”が聞こえたのだ。 しかも、彼女の小さな肩が震えている。明らかに泣いていた。 被害者への謝罪の涙なのか? 逮捕された後悔の涙なのか? 自由との惜別の涙なのか? それとも、逃亡生活から解放された“安堵の涙”だったのだろうか……。 「いま、何を思っているのか? そして、何を言いたいのか?」 私は質問を続けたが、彼女が口を開くことはなかった。 後日、福井の潜伏先にしていた定宿のビジネスホテルの一室に入り撮影した。無機質で殺風景な一室で、福田は自身の“逃亡生活へのピリオド”を考えていたのではないだろうか。 整形を繰り返し偽名を何度も何度も変え、一ヵ所に留まることなく全国を転々として逃亡生活を続けた福田。悲惨な環境で生まれ育ち世の中の無常を体験しながら、15年の逃亡生活で周囲や環境への危機に対する直観力は人並み以上であったはずだ。事実、電話の際も逆探知や録音を警戒していた。 その福田が通報者の言動に気付かなかったはずはないと、取材をした私は思っている。おでん屋での逮捕は、彼女が仕組んだ演出だったのではないだろうか。 被害者を殺害後、被害者の家財道具を夫に運ばせ、その夫に死体の遺棄を命じてから15年。多くの人を巻き込んだ逃亡生活に疲れ果て、自ら捕まるための演出だったのではないだろうか。 桐島容疑者のように最後は「福田和子」で迎えることを選択したのではないだろうか。 逮捕され無期懲役が確定した福田は、くも膜下出血で’05年3月10日に和歌山市内の病院で亡くなっている。57歳であった。 14年344日の逃亡の挙句、時効21日前に逮捕となり「日本で一番有名」な逃亡犯となった福田和子。福井の新幹線ホームで流した涙は「安堵の涙」だったのではないだろうか……。 文:阿部光利(地方政治ジャーナリスト、元TVリポーター) TVリポーターとして『タイム3』『おはよう! ナイスデイ』『とくダネ!』(フジテレビ系)など8番組で活動。オウム真理教事件・阪神淡路大震災など延べ1500件の事件事故を取材。広告代理店経営を経て、区議会議員を2期8年在籍。その後、衆議院議員の公設第一秘書に就任。現在は行政の諸問題や社会問題などを独特の視点で取材、執筆活動を続けている。
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