苦しみ「スケートをやめたい」と漏らしたことも…プロ転向の本田真凜が乗り越えた「高すぎる壁」
晴れやかな表情でプロスケーターとしての第二幕を歩き始めた。 1月19日、西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで開催されたアイスショー「プリンスアイスワールド」東京公演。荒川静香(42)や高橋大輔(37)、宇野昌磨(26・トヨタ自動車)といった錚々たるメンバーの中に、現役引退を発表したフィギュアスケート女子の本田真凜(22・JAL)の姿があった。今季、フリープログラムで使っていたディズニー映画の『リトルマーメイド』をアイスショーバージョンに手直しした演目を、イナバウアーなどを交えながら伸びやかに演じ、観客から大きな拍手を浴びた。ショー終了後、本田は囲みでこう答えている。 【写真】美しすぎる…!世界女王に輝いた16歳の本田真凜が見せた美技! 「小さいときに『アイスショーに出たくて試合を頑張っている』と言ったことがあるんです。伸び伸びと滑るのが好き。その場所に来れたので、いろんなジャンルの滑りをしたい。いろんな表現ができるように頑張りたいと思います」 14歳で世界ジュニア選手権を制して天才少女と脚光を浴びるも、シニア転向後は伸び悩み、目立った成績を残すことはできなかった。それでも、可憐なルックスと天真爛漫な振る舞いで注目度はトップクラス。実力と人気のギャップからか、ネット上では誹謗中傷も受け続けてきた。 表舞台から去ることも考えながら、「凜として真っ直ぐに、ぶれない人生を歩んでほしい」との願いが込められた名前に恥じない生き方を貫き、たどり着いた現在地。現役最後となった昨年12月の全日本選手権、そして1月11日に東京都内で現役引退会見を開いた記者会見での発言などをもとに、紆余曲折の競技人生を振り返る。 「物心ついた時には既にスケートを習い始めていたので、本当にかっこよく言うと、スケートは自分の一部っていう感じだった」 京都市内の自宅からアイスリンクが近く、2歳で氷上に立った。アイスホッケーや水泳、体操、テニス、ピアノーー。スケートは数多い習い事の一つだったが、「たくさんのお客さんが自分の演技だけを見てくれる」という魅力にどんどんのめり込んでいった。 5人きょうだいの次女。妹で俳優の望結(19)、紗来(16)とともに本田三姉妹として取り上げられた。最初のライバルは同時期にスケートを始めた3学年上の兄・太一さん(25)だった。 「負けず嫌いっていうタイプではないんですけど、家族の中で『お兄ちゃんよりすごい』って言われたくて、お兄ちゃんに追いつきたくて頑張ってきた。お兄ちゃんが怪我とか、お受験とかで休んでた時期は戻ってこないならやめようかな、みたいな感じになることもあった」 「試合よりも好き」と、ノービス(ジュニアよりさらに下のクラス)時代からアイスショーに数多く出演し、表現力が磨かれた。試合用メークにもこだわり、その技術、仕上がりは新体操の五輪代表選手も参考にするほど。かつて指導した浜田美栄コーチは「感性豊かで美意識が高い芸術家」と本田を評した。 銀盤でひときわ映える華のある滑りに「浅田真央二世」とスケート関係者の間では話題となっていたが、世間の耳目を一気に集めたのが関大中学2年時に出場した2016年世界ジュニア選手権だった。初出場ながら、物怖じしない演技で5連覇中の強豪ロシア勢を破り、日本女子として村上佳菜子(29)以来、6大会ぶりの女王の座を射止めたのだ。 2連覇が懸かった2017年大会では、2018年平昌冬季五輪で金メダルに輝くロシアのアリーナ・ザギトワ(21)に次ぐ2位。平昌冬季五輪シーズンを控えたタイミングでの新スター誕生に、テレビ局は近畿選手権などの地方大会にも殺到。多くのPV数を稼ぐ「クリックモンスター」として、スポーツ紙は紙面だけでなく、インターネット上の記事でもその一挙手一投足を記事にした。 「世界ジュニアで優勝できたあたりから、たくさん注目していただいて、どんな時でもカメラマンの方が一緒で『よかったな』『幸せだな』って思うこともたくさんありましたけど、小さい頃の私は『辛いな』って思うことももちろんあった」 当時はまだ中学生。激流のような環境の変化を受け止めるにはあまりに幼かった。そして迎えた2017-2018年の平昌五輪シーズン。初戦のUSインターナショナルで優勝したものの、初のグランプリ・シリーズとなったスケートカナダではショートプログラムで10位と出遅れて5位に終わった。それまでの勢いは失われ、世間の期待とは裏腹に、一度狂った歯車を戻せないでいた。もがき苦しみ、初めて周囲に「スケートをやめたい」と漏らすようになった。 五輪最終選考会を兼ねた全日本選手権では7位。五輪出場の道も絶たれた。 「10歳ぐらいの時は(スケートは)自分の中で習い事のひとつで、正直に言うと、いつやめてもいいっていう感覚で、16歳のタイミングでスケートをやめて、好きなものをいっぱい食べたいし、好きなことをたくさんしたいなって思っていた。 16歳になってみると、その時、自分にとってすごく辛いシーズンでもあり(全日本後に)一回、自分の意思で初めてスケートを休んだ時期があった。でも実際に休んでみると、罪悪感というか、練習早くしなきゃっていう気持ちになって、4日間しか休まずに、年末にはもう練習を再開していた」 米国へ練習拠点を移した。久しぶりに周囲の評価を気にせず、自分の滑りだけに集中できた。「スケートってこんなにも楽しいものなんだ」と気付かされた。結果に左右されず、自由に滑るという「スケートの原点に戻れた」と語る。 明治大学政治経済学部4年、大学ラストイヤーで臨む2023年12月の全日本選手権を現役最後の舞台に定めた。上位5選手が全日本への切符をつかめる11月の東日本選手権で5位に滑り込むと、自然と涙が溢れた。 「全日本の舞台は自分の中で特別で。出場資格が満たされた時から9年間、ずっとたどり着けていましたし、それは本当に自分を褒めてあげたいなというか、誇らしく思えるところ」 全日本ではショートプログラムは最下位の28位。フリーに進むことはかなわなかった。しかし、後悔はなかった。 「フィギュアスケーターとして、競技者として戦い抜けた。たくさんのお客さんの前で自分の演技ができる全日本の舞台がすごく大好きで、これで最後なんだなっていうのをすごく噛みしめた瞬間で、すごく幸せな瞬間だった」 プロスケーターとして目指すべきお手本がある。浅田真央(33)だ。2022年11月に鑑賞したアイスショー「BEYOND」の京都公演で衝撃を受けた。 「現役の時よりも表現者。スケートってこうあるべきだなっていうものを見せていただいたような気がした。音のしないスケートだったりとか、ジャンプにとらわれないスケートを見ていて本当に素敵だなって思えた。こういうスケーターになりたいなと改めて感じました」 目指す姿が決まり、進み始めた第二幕。 「ジュニア時代より順風満帆には見えないかもしれませんが、当時の私より今の方がスケートはすごく好きですし、幸せだと思っています」 迷うことなく、自分の信じるスケートを追い求めていく。 取材・文:秦野大地
FRIDAYデジタル