『花束みたいな恋をした』は、カルチャーから離れていく若者を描いたホラー映画か?
映画『花束みたいな恋をした』は一般的にラブストーリーとして捉えられているが、ライター・ブロガーで『ファスト教養』著者のレジー氏は、同作を「ファスト教養」の視点から観ることができるという。小説、映画、音楽から離れた若者は、またカルチャーに戻ってこられるのか。東京女子大学学長で『教養を深める』著者の森本あんり氏と考える。構成:編集部(中西史也) ※本稿は、『Voice』(2024年5月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
カルチャーから一度離れても、また戻ればいい
【森本】レジーさんのご著書『ファスト教養』(集英社新書)に出てくる映画『花束みたいな恋をした』のレジーさんの視点には深く考えさせられました。 主人公の男の子・麦(菅田将暉)が、恋人の絹(有村架純)と当初は互いの好きな映画や小説、音楽といったカルチャーで関係を深めていく。でも二人の生活のために、麦は本来やりたかったイラストレーターではなく営業職を始める。そうすると、すぐに役立つビジネス・自己啓発書を読むばかりでカルチャーへの興味を失い、二人の関係も冷え込んでいく――。 レジーさんは、麦の姿をカルチャーからファスト教養への変化として捉えていて、そういう見方があるのだと感心しました。 【レジー】『はな恋』のことを「カルチャーから離れていく若者の姿を描いたホラー映画だ」と言う人もいます。私も社会人になってから音楽や映画に距離を置いた時期もあったので、麦の気持ちは痛いほどわかりますし、他人事だと思えないんです。 でもとくに若い人に伝えたいのは、一度カルチャーから離れてもまた戻ってくればいいということです。私も社会人になりたての忙しい時期、仕事に慣れてきて落ち着いてきた時期、子どもができてまた忙しくなった時期というように、カルチャーに接する度合いはライフステージによって波がありますから。 【森本】では『はな恋』の麦も、あそこで終わるのではなくて、やがて時間やお金にゆとりができたら、イラストレーターの仕事を再開して文化の側に戻ってくる道もありえますかね。 【レジー】そういう可能性もあるはずです。「あってほしい」という願望に近いかもしれませんが。 【森本】「麦のイラストへの熱意や能力は、生活が苦しくなったらやめる程度のものにすぎなかった」という見方もありますよね。 【レジー】はい、それもわかります。でも必ずしも仕事ではなくとも、趣味でイラストを描くだけでもいいでしょう。エンタメは本来、自分の生活のどこかにあればいいものですから。 【森本】ああ、それはとてもありがたいご指摘です。じつはあの話をうちの女子大生にするとき、結局二人は別れてしまう、というところが気になってしまうんです。でも、映画を離れた実人生では、別の展開が大いにありうる、ということですね。 【レジー】そう期待したいですね。