【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第7回)かぐや姫の解散、つま恋の熱狂と風
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋 1975」より 第7回 かぐや姫の解散、つま恋の熱狂と風 かぐや姫は3年で一区切り──。こうせつさんは何となくそんなことを最初から言っていたような気がする。だから実際に解散をするって決まったとき、僕個人としても驚きはさほどなかった。特に僕は一番年下の立場で、先輩ふたりについていきますっていうスタンスだったから尚更だ。 「神田川」がとんでもなくヒットして、かぐや姫のイメージがそのまま「神田川」になってしまった。そのことと解散が直結しているとまでは言わないけれど、あくまで僕の感じ方として言うならば、後に四畳半フォークと半ば揶揄を込めて言われるように、かぐや姫の持つ一部分だけが妙に膨れ上がりすぎてしまったなという気がした。前にも触れたとおり、かぐや姫は何でもありのミクスチャー、どちらかというとパンキッシュな部分がコアにあるグループという認識は今でも変わらない。 かぐや姫の解散が決まった時点で、実は僕だけその後が白紙状態だった。こうせつさんはすでにソロアルバムのレコーディングに入っていたし、パンダさんもデビューが決まっていた。 「で、正やんは何すんの?」 僕はソロとしてやっていく自信がいまいち持てなかった。バンドを組むつもりもなかった。そこで目をつけたのが大久保(一久)くんだった。彼が参加していた「猫」というグループとはよく一緒にライブをやったりしていたので、しょっちゅう楽屋で顔を合わせていた。大久保くんは僕よりも一つ年上なのだが、ミュージシャンの集まる楽屋ではお互いに若い方だったので自然と親しく話をするようになった。広い楽屋の片隅で先輩たちに遠慮しながら、こんな弦の巻き方があるよとか、ギターはやっぱりマーチンがいいねとか。とにかく話していて楽な人だった。