【大学野球】優勝決定直後の早大ナインが直立不動で「慶應義塾塾歌」を聴き入った理由
大雨の中で行われた6月2日の早慶2回戦から10日が経つ。早大が7季ぶり47度目の東京六大学野球リーグ優勝を決め、現在開催中の第73回全日本大学野球選手権に歩を進めたわけだが、この10日間、慶大の卒業生の間で話題に上っている画像がある。 【トーナメント表】今秋のドラフト注目選手も出場 早慶戦後のエール交換。慶大応援席による「慶應義塾塾歌」斉唱を一塁ベンチ前、一列に並び、直立不動で聞く小宮山悟監督以下、早大ナインの姿を映したものである。 優勝が決まった後なのだ。「塾歌」の斉唱中、早大側がお祭り騒ぎになったとしても、それはそれであり得ることかもしれない。過去にはそんな光景もあった。だが、今春の早大ナインは違った。好敵手の荘重なメロディーを聴き入った。 小宮山監督に聞いてみた。 「当たり前のことです。慶應義塾に対する敬意ですよ、敬意」 芝浦工大柏から2浪を経て早大に入学。野球部に入部した。 「入学した時、『早慶戦で完封したら、後の人生はどうなってもいい』と思っていた。名もない浪人生が早稲田の野球部の門を叩いて、早慶戦のマウンドに立てるなんて、想像できなかった」 夢は現実になる。2年だった1987年秋の早慶2回戦、慶大のサウスポー・志村亮と投げ合い、1-0完封。4年だった1989年には早慶戦で春2勝、秋2勝の年間4勝という離れ業をやってのけた。 「塾歌」を聞くたびに、青春時代の勝つ喜びと、負けた悔しさがよみがえる。思い出のメロディーだ。 「早慶戦でチャンスを勝ち取ったという経験があれば、その後の人生でどんな困難があったとしても、負けないんですよ。だから、慶應義塾には感謝と敬意しかないんです」 大学日本一を目指す戦いは始まったばかり。粋な言葉で決意表明した。 「早稲田としてではなくて、東京六大学野球連盟の代表としての戦いですから。恥ずかしくない試合をしなければならないと思っています」 ちなみに-。早大野球部初代監督の「学生野球の父」こと飛田穂洲と、福沢諭吉研究の第一人者で「慶應義塾塾歌」を作詞した富田正文は、同じ旧制水戸中(現・水戸一)の卒業生である。(編集委員・加藤弘士)
報知新聞社