たくさんの人の想いを乗せて。つちやエンジニアリングの“ホピ子”が再び富士の地へ。荒波が続く中、“船頭”土屋武士がまず見据えるは「生き残ること」
『Thank you for your support』の文字が入った未塗装ボディのマシン――。HOPPY team TSUCHIYAの25号車HOPPY Schatz GR Supra GT、通称『ホピ子』が、富士スピードウェイに“戻ってきた”。昨年8月に富士で行なわれたスーパーGT第4戦で火災に見舞われ、大きなダメージを受けたホピ子だが、そこから約7ヵ月半で修復が完了し、公式テストにやってきたのだ。 【随時更新中】スーパーGT富士公式テスト:搬入日フォトギャラリー プライベーターの雄として、自社製作のスープラでGT300クラスに参戦するつちやエンジニアリング。昨年の火災で車両がほぼ全焼となってしまった時は、土屋武士監督としても「もう戻って来れないのではないか」という思いがよぎったという。スーパーGTへの参戦権を維持するためにも、現在も所有する86 MCで2024年シーズンを戦うという話も出たようだが、つちやエンジニアリングのメンバーと協議の結果、「クルマを作りたい」「自分たちのクルマで勝ちたい」「日本のレーシングカーコンストラクターでありたい」という思いから、再び車両を修復(というよりは作り直すに近い作業)するという道を選んだ。 ただそのためには、莫大な資金が必要。そこでつちやエンジニアリングは『ホピ子復活プロジェクト』を立ち上げ、クラウドファンディングでファンから参戦資金への協力を募った。思いに賛同したファンたちの支援の輪はどんどんと広がっていき、最終的には2500万円を超えるほどの支援が集まったという。 「こうやって戻って来られたことは、応援して下さったみなさんのおかげ以外の何物でもありません。感謝の気持ちしかありません」 そう語る土屋監督。搬入日の前日に富士スピードウェイで車両の火入れやシステムチェックを行ない、数周走行した。「まだ転がしただけ」とのことで全開走行なども行なっていないが、少なくとも組み上げてきた車両がしっかりと動くことは確認できた。 車両が完成し、公式テストや開幕戦のグリッドに並べれば、一件落着……というわけにもいかない。つちやエンジニアリングの“航海”は、ここからが大変なのも確かだ。自らを“船頭”に例える土屋監督は、まずは「生き残る」ことを目標にしたいと語る。 「今年の資金を投入して(車両を)作っているので、今年1年走らせられる資金という意味では、正直苦しい状況にあります。戻ってはきましたが、最初から毎回普通にレースができるかと言われたら、簡単ではありません」 「今自分が一番の目標としているのが『生き残る』こと。皆さんの支援で生き残らせてもらったこのクルマで、うちのスタッフがどんどん成長して、レース界の宝となるべく貴重な経験を積ませてもらっています。それを絶やしてしまうと、プライベーターの灯が消えてしまう。先駆者が紡いできたモノづくりの歴史を繋いでいきたいので、とにかく生き残ることが先決かなと思っています」 「その船頭を僕がやっているので、まずはこのクルマを大切に、できるだけ長く走れるようなオペレーションをしないといけません。ここまで来られたのはすごく良いことですし、もちろん嬉しさもありますが、ここから先が重要ですし、自分は次のところに目線を向けていかないといけません」 先を見据えるという意味では、2025年シーズンにしっかりと勝負ができる環境を作っていきたいと土屋監督は言う。 「2025年に良い体制でスタートを切れるような2024年にしたいです。毎回上位を目指してレースに参加することはできないので、このクルマを大事に大事にレースをこなしながら、限りある資金をどう使うかを考えつつ、今年中にちゃんと勝負ができるような戦闘力に持っていきたいです」 「資金的に『ここだ!』という勝負時が来れば、お金をかけて、上位を目指すというレースを何戦かやりたいなと。そういった風に、2025年に繋げていくことが今のプライオリティになります」 手塩にかけて育ててきたホピ子を火災で失い、そこから支援も受けつつ資金繰りをして、開幕前テストの舞台にマシンを持ち込んできた土屋監督の心労は察するに余りあるものがある。しかも今後に向けても、やるべきこと、考えるべきことは山積み。その背中に負っている荷物の大きさも計り知れない。そういった現状もあってか、まだ「感情の蓋が開いていない」と土屋監督は表現する。 「今のクルマは、みんなで作ったクルマ。それを一緒に走らせる船頭として、未来に繋げることが一番です。荒波がある時代に出航しているので、一瞬で沈没してしまうリスクがある中で、今日ここに来ています。感情の蓋が開かないなというのが、正直なところです」 「それは開かないかもしれないし、ある日突然開くかもしれない。それは自分でもわかりません。今はこのクルマを皆さんの前に送り出すのが重要だし、それを未来へ繋げていくことが、今皆さんに対して自分が一番すべきことだと思っています」 昨年8月の富士戦、燃え尽きたマシンの残骸の裏で土屋監督は涙を流した。そこからの数多の出来事は、土屋監督の感情に蓋をしてしまったのかもしれない。その蓋が“嬉し涙”という形で開く日は来るのか。つちやエンジニアリングの長い航海がまた始まっていく。
戎井健一郎
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