『新宿野戦病院』院長が明かしたヨウコの正体 生命の誕生をめぐる複数のエピソードが交錯
ホストクラブの“売掛問題”であったりトー横キッズであったり、歌舞伎町特有の(あるいはそれ以外の地域でも特筆した繁華街における)問題を、各エピソードのテーマとして取り上げてきた『新宿野戦病院』(フジテレビ系)。7月24日に放送された第4話においても、歌舞伎町らしい混沌とした様子は変わらないものの、エピソード全体の主題としてあるのはより大きな、社会に蔓延る問題である。 【写真】手術を行うヨウコ(小池栄子)と亨(仲野太賀) 母親の恋人から逃げてきたマユ(伊藤蒼)が歌舞伎町へと駆け込んでくるシーンを経て、ようやくいつも通りの多言語のナレーションから物語が始まっていく。それは、この街に蔓延る混沌のあらゆる要因が、歌舞伎町という限定されたエリアの内側で勝手に発生したものではなく、あくまでも外側から運び込まれてきたのだと示しているかのようでもある。そしてこの歌舞伎町という混沌の内側でマユは、同年代の少女たちから「おかえり」とあたたかく迎えられるのだ。 前回のエピソードで舞(橋本愛)に対して、「そういう子」と一括りに扱われることへの抵抗感を示していたマユ。今回は彼女の母親(臼田あさ美)の口から、マユの“望まれなかった”生い立ちが明かされていく。娘が自分の恋人から性加害を受けていることを知っていながらもそれを黙認し、暴力を振るわれるからと別れることもできず、相手の言い分を信じて警察に相談することもできない。 10年以上前に交際相手からの暴力にも準用されるように改正された「DV防止法」を知らず、そして自分自身を「私みたいな女」と卑下する。そんな母親に舞が言う、「“私みたいな女”から“そういう子”が生まれるという考えに、大人が囚われてちゃいけない」の言葉。おそらく「そういう子」と社会に言われ続けた果てに「私みたいな女」が生まれてしまう、そんな負のループがそこに存在しているのであろう。 “望まれない”かたちでみごもられ、“望まれない”まま産まれ育てられたマユがいる一方で、今回のエピソードにおいては生命の誕生をめぐるいくつものエピソードが交錯しあう。望まれてできたはずなのに病院家系で性別によって振るい分けられて不遇な扱いを受けてきた葉月(平岩紙)。父である院長(柄本明)がリツコ(余貴美子)との間にもうけた子がヨウコ(小池栄子)であり、すなわち葉月とヨウコはいわゆる腹違いの姉妹の関係にあることが判明する。 またそうしたなかで、路上で倒れて聖まごころ病院に運ばれてきた16歳の少女は、地元の先輩(彼女自身は“彼氏”だと思っているというが、相手がどう思っているか知らないと答える)との間に子どもができ、ネットで得たおぼろげな知識に頼って1人で産んで手放そうと考え、歌舞伎町にやってきたという。しかしいざ産んでみれば、母性が芽生え離れたくない――“望まない”から“望む”存在へと変容させる。その少女に対して「想像力が足りない」と葉月が激昂する背景には、先述したヨウコや院長との関係が影響していることは容易に見て取れる。 いずれにせよ、ここで描かれる生命の誕生をめぐる複数の人物たちのエピソードにおいて、産まれてきた子どもたちはみな女性であること。そして院長を除き、父親たる存在の実体が不可視のままであることは見逃してはならないものだろう。
久保田和馬