「負け組」を経験した母親が苦しむ「課金地獄」の正体…受験戦争がもたらす「厳しい現実」
小学生の不登校の数が増え続けている。型にはめ込む管理型の教育現場では、少しでも「普通」から外れると「公立に合わない」「普通の学級に合わない」と「烙印」が押される……。教員たちも過酷な労働環境のもとで疲弊していく……。 【写真】子ども時代に「ディズニーランド」に行ったかどうか「意外すぎる格差」 いま日本の学校で何が起きているのか。注目の新刊『ルポ 学校がつまらない』では、格差の再生産のような全国の公立小学校の実態を明らかにし、あるべき教育の原点を問う。
“課金地獄”の沼にはまる
「私が就職氷河期世代で苦労してきたので、娘にそうした思いはさせたくない。早いうちから中学受験を決めて、勉強を始めました。けれど、通常の塾のほかに夏期講習や冬期講習も受けます。そのうえ個別指導の塾に通う費用がかかり、まるで“課金地獄”です」 田中陽子さん(仮名)は、深いため息をつく。中学受験に強いとされる塾に通う費用は、年間100万円以上。小学6年生の娘は、月に数コマの個別指導塾にも通う。1コマ6600円。8月は夏期講習のほかに、個別指導で国語も算数もと20コマ近く“課金”することになり、合計で約50 万円という痛い出費となった。 「それでも個別指導を受ければ受けるほど、娘が「分かるようになった」と目を輝かせ、実際に成績が伸びるのです。受験する以上は、合格してほしい。だから“課金”の沼にはまるわけです」 ほかにも細々とお金がかかる。公開模試を受けると1回で約6000円。塾からは志望校の過去の試験問題を10年分解くよう指導されるため、フリーマーケットアプリの「メルカリ」などで探して古い過去問題集を購入。プレミアムがついて定価の2~3倍に跳ね上がっていた。小学3~5年の間だけで合計300万円、最終学年の6年生では年間250万円もの塾の費用がかかり、小学生の間にかけた塾代の総額は550万円以上となった。 前述した恵美さんの息子と同様に陽子さんの娘も日々、ハードスケジュールをこなす。平日は2日、16時半から21時まで塾で勉強する。15時半頃に学校から帰宅すると15分ほどでおにぎりを食べて、急いで塾へ向かう。塾から帰って22時頃に夕食をとり、風呂に入って塾の復習をしてから深夜0時頃に寝る。朝は6時台に起きて塾のドリルを解いてから学校に向かう。空いている日はひたすら塾の宿題をこなし、個別指導を受ける。土曜の午後も19時頃まで塾だ。日曜は、塾の宿題を終わらせるために1日10時間も机に向かう。 塾では毎月テストの成績順でクラスと席順が決められる。どのクラスで、どの席になるか。ランク分けは毎月のプレッシャーだ。塾から出る大量の宿題をこなすため、学校の宿題をする時間がない。 陽子さんも、子どもの代わりに学校の宿題を済ませる。 「マネージャーのようにスケジュール管理をしています。やっぱり、費用対効果は考えてしまいます。500万円もかけて偏差値の低い中学しか受からなかったらと思うと、気が気でないです。お金で解決するなら、課金できるだけ課金して合格させてあげたい。受験は結局、テクニック。問題が解けるようになればいいのです」 陽子さんがここまで思い入れが強いのには、理由がある。 40代後半の陽子さんは大学卒業後に正社員として働き始めたが、ブラック企業に勤めたため過労から退職を余儀なくされた。その後は非正規雇用が続き、良い就職には恵まれなかった。 1980年代に8割あった大卒就職率が落ち込んだのは91年のバブル崩壊の後からだ。そこから、みるみるうちに就職率は下がっていった。2000年に大卒就職率が統計上初めて6割を下回る55・8%をつけ、03年には55・1%と過去最低を更新。翌4月には日経平均株価が7607円まで下落した。多くの企業にとっても未来が見えず、雇用環境は激変した。1991年のバブル崩壊、97年の金融不安、2001年のITバブル崩壊、08年のリーマンショック。そして2020年にはコロナショックが起こった。 陽子さんら40代を中心とする親世代が社会人になった2000年前後の頃は、正社員は「勝ち組」、非正規雇用は「負け組」と言われ、就職後に苦労した人が少なくない。「失業するよりマシ」と1999年以降に労働者派遣法改正など雇用の規制緩和が次々と行われ、非正規雇用を多く生み出す構造ができた。労働者に占める非正規雇用の割合は、バブル崩壊前の1990年の20・2%から上昇の一途をたどって2023年で37%になっている。 ましてや女性の非正規雇用率はもともと高い。1990年の段階でも女性の約4割が非正規雇用で、2023年では約5割を占める。小学生の子どもを持つ女性が出産した頃は妊娠を機に仕事を辞めざるを得ないことが多く、連合が2015年に行った調査では「妊娠後に、その当時の仕事を辞めた」という女性が正社員でも5割、非正規雇用では7割に上っていた。 国税庁の「民間給与実態統計調査」から2023年の国内の平均年収を見ると、全体は460万円だった。正社員(正職員)の平均は530万円、正社員(正職員)以外は202万円と差がある。男女の年収差も大きい。男性では正社員(正職員)が594万円、正社員(正職員)以外が269万円。女性は正社員(正職員)が413万円、正社員(正職員)以外が169万円だった。年収分布を見ると、男性は年収400万円超500万円以下が17・5%で最多で、女性は100万円超200万円以下が20・5%を占めて最多となっている。 雇用の規制緩和は、収入の差を作り格差を固定化させた。小学生の子をもつ親には2000年頃からの就職氷河期に社会に出ているケースが多いため、この格差を当事者として目の当たりにしてきたのだ。だから陽子さんは、「娘には自分の稼ぎで生きていけるような仕事に就いてほしい」という思いが強く、中学受験を決めていた。 「特別に頭が良い子でなくても、普通の子でも、努力すれば下駄を履かせてあげられる。そのチャンスがあるのが中学受験なのだと思うのです。娘には文系より理系がいいよと教え、今から大学見学もしています。将来は安定した公務員になってほしい」 そうした「いい学校に入り、いい会社に就職してほしい」という親心が見透かされ、受験産業は活況を見せている。
小林 美希(ジャーナリスト)