ミニスカ美脚でバブル時代を駆け抜け…田中美奈子「Mステで歌った後、気を失ったことがあります」
美脚&ミニスカ、健在! ’24年に芸能生活40周年を迎える田中美奈子(56)は、超ミニのボディコンで日本各地の大学祭を盛り上げ、「東大生が選ぶ恋人にしたいNo.1」に輝いた頃と変わらぬ美貌&フェロモンを放っていた。 【画像】美しい…!田中美奈子 芸能界を席巻した「美脚&ミニスカ」は健在! 「東大の赤門前で写真を撮ったのを覚えています。『学園祭の女王』と呼ばれていましたけど、本当に全国へ行きましたからね。何校回ったか、数えきれない」 「楽しかったな」と振り返る彼女の芸能活動の原点は小学生時代。テレビのちびっこものまね歌合戦に応募して『ピンク・レディー』のモノマネをしたり、劇団のオーディションを受けたりしたという。 「’84年、高校生のときに『ミスマガジン』準グランプリ(グランプリは斉藤由貴)に選ばれたのがキッカケでモデルの仕事を始めて、21歳のときに『涙の太陽』で歌手デビューしました。島崎和歌子ちゃん(50)とか、同期はほとんど10代で、20代の私は異色の存在でしたね」 当時、テレビ局のプロデューサーに言われた一言が、激動の芸能界を駆け抜けるモチベーションになったという。 「『その歳でその売り方(セクシー路線)だと、絶対失敗するね』って言われたんです。有名なトレンディドラマを制作している方に″売れない″と言われたのが悲しくて、家に帰って泣きました。わんわん泣いた後、『たとえ100人にダメ出しされても、私だけは田中美奈子を信じてあげなきゃ!! 絶対、見返してやる』とメチャクチャ頑張りました」 当時のタレントは、歌もバラエティも役者も何でもやる時代。レコード会社のキャンペーンで全国に行きつつ、ドラマやCMの撮影を行う日々が始まった。 「所属事務所の社長がヤリ手で、スケジュール帳は常に真っ黒。一日に11件入っていたこともありました。ダブルブッキングもあって『どうするの?』って聞いたら『ヘリコプターで移動する』と(笑)。1週間トータルで10時間寝られるかどうかという日々が2年間、続きました。ご飯大盛りで一日5食くらい食べていたんですけど、体重は39㎏しかなかった。そんなある日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でトップバッターとして歌った後、ステージの裏で気を失って――気づいたら控え室で、本番も終わっていましたね。血液検査をしたら、栄養失調でした」 ボロボロの彼女を支えたのが、件(くだん)の「見返してやる」という反骨精神だった。 「それでも、たまには励ましてほしくて母に弱音を吐いたんですけど、『やめちゃえば?』って軽く言われて。何クソってまた闘争心に火がつきました(笑)」 『学園祭の女王』と並ぶ、もうひとつの称号も手に入れた。怒濤の展開で話題となったドラマ『もう誰も愛さない』(フジテレビ系・’91年放送)で、自分の手は汚さず邪魔者を次々と破滅させる「悪女」を好演。以後、ひところは悪女役を一手に引き受けるほど、オファーが殺到。女優として新境地を切り拓いた。 田中と言えば、瞳に1億円の保険が掛けられたことも話題となった。 「あれ、何だったんですかね(笑)。私に相談なく決まっていたので、保険期間も内容も知らされていませんでした。『そういう戦略なのかな』って乗っかりましたけどね。いろんな仕事をしましたけど、一番楽しかったのがバラエティ。樹木希林さんみたいなコメディエンヌになるのが、そもそもの夢でしたから。レギュラー出演していた『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジ系・’90年~’93年)は、石原良純さん(61)たち共演者同士の仲が良くて、楽しかったな。収録が終わったら、そのまま飲みに行くんです。屋形船で打ち上げをやったときは出川哲朗さん(59)!? か誰かが、海に落ちたりして……いい時代でしたね」 やがてバブルは崩壊。事務所のヤリ手社長は株でトラブルを起こし、給料未払い、事務所移籍も経験した。紆余曲折を経て、田中はいまも女優として活躍。「半沢直樹」や「99.9-刑事専門弁護士-SEASON Ⅱ」(いずれもTBS系)などの話題作に出演している。’23年12月には自ら発起人となって、’80年代の″戦友″たちとイベントを開催した。 「野々村真くん(59)が歌う『いいとも青年隊』の『ウキウキWATCHING』でスタートして、元『イモ欽トリオ』西山浩司さん(62)の『ハイスクールララバイ』で締めるというね。それだけで、楽しそうでしょう? 西村知美ちゃん(53)、大西結花ちゃん(55)ら女性陣を合わせた総勢10名の’80年代アイドルが、持ち歌を一曲ずつお客様と一緒に歌って踊って――盛り上がりましたね、バブルの頃に戻ったみたいで。当時、フライデーさんに散々追っかけられて大変でしたけど、楽しかったな。私の青春でした」 プライベートでは’07年に結婚。一男一女の母として子育てに奮闘している。 「家族のコミュニケーションで役立っているのがキャンピングカーです。叔父がクルマ屋さんで、小学生の頃にキャンピングカーで河口湖とかに連れて行ってもらった楽しい思い出があったので、子供たちにも体験させてあげたいと思っていました。先日、テレビの企画で乗って以来、家族で夏休みに1ヵ月かけて北海道や四国を一周したりしています」 『学園祭の女王』以来の全国制覇まであと5県だと、田中は笑うのだった。 『FRIDAY』2024年1月5・12日号より
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