ウクライナ・ブチャ解放から1年――“大量虐殺”の町で何が…住人の貴重な証言をひもとく
日テレNEWS
ウクライナの首都近郊のブチャで起きたとされる“虐殺”。ロシア軍の占領下で何が起きていたのか。1年前現地入りしたNNN取材班は凄惨な光景を目にした。そして多くの住民からロシア軍の残虐な行為に関する証言を得ていた。 (日本テレビ・前ロンドン支局長・古谷朋大)
ウクライナの首都キーウ近郊の町ブチャではロシア軍が大勢の住民を虐殺したとされている。そのブチャが解放されてから1年が経過し、先月31日、現地で追悼式典が行われた。ウクライナのゼレンスキー大統領はブチャとその周辺で1400人以上の住民が殺害されたと主張している。 私は去年4月の15日にブチャを取材した。まだロシア軍が撤退してから間もないタイミングで、そこには凄惨な光景が広がっていた。
■証言1:「多くの遺体が射殺されていた」
岸田総理大臣も訪問した聖アンドリア教会では遺体の掘り起こしと検死作業が続けられていた。数体の遺体が横たわり、何かで切断されたような遺体、手足の無いものもあり、明らかに自然に死んだものではないと感じた。 多数の遺体を埋葬したという教会のハラビン司祭は「75%から90%は射殺されていた。偶然ではなくて意図的に殺されたのだと思う」「後ろ手に縛られ後頭部を打ち抜かれた遺体もあった」などと証言した。
■証言2:「家から出ると無差別に銃撃」
ブチャは侵攻開始後まもなくロシア軍に占領され、首都攻防戦の最前線として激しい戦いが行われた場所だ。ウクライナ軍が奪還した後、虐殺されたとみられる住民の遺体が次々見つかった。ロシア軍が何をしたのか、私たちはブチャの住民から多くの証言を得た。 取材したのは町の南側にあるイワノフランカ通り。ブチャを取材する中、特に被害が大きいエリアがあると聞いたのだ。実際この通りに並ぶ家々は破壊し尽くされ、つぶれた車などがあちらこちらに放置されていた。この場所の住民によると、ロシア軍に家から出るなと言われ、外を出歩けば無差別に射撃されたという。ロシア兵はまた住民の携帯電話を取り上げ動画などロシア軍の行動の記録を撮影していないかも確認していたという。