【霞む最終処分】(16)第2部「変わりゆく古里」 国の計画早期に提示を 「古里」の行く末注視
東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設(福島県大熊町、双葉町)の敷地内にある自宅への帰還を断念した住民がいる。双葉町新山地区に住んでいた勝山広幸(55)もその一人だ。たとえ国が法律で定めた2045年3月までに除染廃棄物の県外最終処分が完了したとしても、「元の暮らしを取り戻した」未来は描けなかった。避難先に自宅を再建し、慣れ親しんだ町とは離れた場所から最終処分の行く末を注視する。 浪江町で生まれ育ち、結婚を機に26歳で新山地区に土地を借り、家を建てた。子ども3人に恵まれた。妻の父が経営する双葉町の建設会社「勝山工業」で働き、公共工事や福島第1原発構内の工事などに携わってきた。32歳の時に社長に就任した。双葉に住み続けるはずだった暮らしは、原発事故で様変わりした。 ◇ ◇ 全町避難により川俣町や埼玉県加須市の避難所に身を寄せた。原発事故発生の約1カ月後から東日本大震災で被災した家屋の補修などを手がけた。避難先に家族を残し、いわき市のアパートなどに暮らしながら、防護服姿で作業に当たった。会社も市内に仮事務所を置いた。
2015(平成27)年1月に双葉町が中間貯蔵施設の建設受け入れを決めた。自宅も用地に含まれた。「もう住むのは無理だ」と感じた。30年に及ぶ事業であるため、完了時には高齢になっている。生活環境やコミュニティーの再生には多くの時間を要する。やむを得ず帰るのを諦め、6年ほど前に加須市に自宅を再建した。双葉の家は土地を地権者に返還し、2022(令和4)年に解体された。 会社は2021年に双葉町で事業を再開し、新たな事務所を設けた。浪江町にも生活拠点を置き、2週間に1回ほど、家族が待つ加須市に帰る。 ◇ ◇ 仕事などで毎日のように双葉町の国道6号を通る。道路脇に広がる中間貯蔵施設の敷地が目に入ってくる。自らも暮らし、住民の穏やかな営みがあった地域が姿を変えていくことに戸惑いを覚える。 若い頃から20年近く暮らした「第二の古里」の未来はいったいどうなるのか、気にかかる。現時点で最終処分の場所は決まっておらず、除染土壌の再生利用も見通せない。「国は今後の具体的な計画を早期に公表し、住民を安心させてほしい」と訴える。
双葉で過ごした穏やかな日常が脳裏に浮かぶ。「帰らないと決断した人の思いも受け止め、最終処分を成し遂げることが国の責任だ」(敬称略) =第2部「変わりゆく古里」は終わります=