『内P』復活で感じた「内村光良」後進育成の凄み 有吉やふかわ…多くの芸人を復活・再ブレークさせた立役者
一方、人気を博していたのがジャドーズ。ジャドーズは、もともとはバンド(メンバーには、後に「LOVEマシーン」の編曲などで有名になるダンス☆マンもいた)。だがお笑いも達者で、当時「ラ・ママ」で圧倒的な人気を誇っていた。 そのスタイルは、短いものまねやギャグをテンポよくつないでいくもの。バンドらしく、ネタのあいだに自作のブリッジ(音)が入る。当時はネタというと5分くらいある長尺ものばかりで、ショートネタの積み重ねという方式がまず斬新だった(渡辺正行『関東芸人のリーダー』)。
これにヒントを得たのがウッチャンナンチャンだった。2人はそれまでの長尺コントをやめ、ジャドーズのショートネタ方式を借りつつ、短いショートコントを次々に連発するスタイルに切り替える。 「ショートコント、〇〇」と言いながら進めるスタイルはいまや定番だが、それはウッチャンナンチャンが40年ほど前に発明したものだった。そこから人気も上昇。2人の現在に至るサクセスストーリーが始まる。 この「ラ・ママ」時代の経験が、内村光良の後輩芸人プロデュースの原点にあるだろう。そして『内P』以外でも、内村光良のプロデュース力は発揮されてきた。
『新・ウンナンの気分は上々。~NEW FEEL SO NICE』(TBSテレビ系)でのさまぁ~ずとくりぃむしちゅーの改名企画もそうだ。 もともとは「バカルディ」と名乗っていたさまぁ~ずと「海砂利水魚」と名乗っていたくりぃむしちゅーの対決企画。当初改名はPK対決や卓球対決の罰ゲームだったが、結局新しいコンビ名が世間に定着し、そのまま名乗ることになった。 これも番組自体が両コンビの見事なプロモーションになっていて、そのプロセス全体を臨機応変に仕切った内村光良のプロデュース力が光る。
■内村光良がつくりだす「やさしい世界」 このケースからもわかるのは、内村光良のプロデュースには、芸人としての仲間感覚がベースにあるということである。 そこには、年齢も芸歴もあまり関係ない。芸人同士はライバルではあるが、根本的にはともに支え合う仲間だ。上下関係ではなく対等な関係。いわば、「やさしい世界」である。 それはとりも直さず、内村光良そのひとのやさしさから来るものだろう。面倒見の良い兄貴的存在であることは画面を通しても伝わってくる。しばしば「理想の上司」ランキングの上位にランクされるのも、そうした雰囲気が視聴者にも伝わっているからだろう。