追悼・柚木沙弥郎|生涯を通して創作を追求、 “今” を生き続けた染色家。
瑞々しく、生命力に溢れた作品で多くの人を魅了した、染色家・柚木沙弥郎。人生を捧げた創作の日々を振り返る。 【フォトギャラリーを見る】 今年1月、染色家の柚木沙弥郎が逝去した。享年101歳。創作に生涯を捧げ、亡くなるその日まで現役を貫いた人生だった。伝統的な型染を継承しながら、モチーフや色使いは大胆にしてモダン、自由な発想で型染の世界に新風を吹き込んだ。「柚木レッド」と言われる独特の赤や藍色を使った色使い、ユーモアに溢れたモチーフはどれも力強く、瑞々しく、生命力に溢れていた。
20代前半に民藝運動の提唱者である柳宗悦と出会い、それを機に、後に人間国宝となる染色工芸家の芹沢銈介に師事。独立後は、染色家として活動を始め、以来、80年近くにわたり型染の第一人者として活躍した。晩年には、染色以外に版画や絵本、立体、切り絵など、さまざまな分野で広く制作を手がけ、自ら芸術表現を切り開いていく。これまで国内外で数多くの展覧会を開催していたが、驚くべきは年を重ねるごとに仕事の幅を広げていったことだろう。
生前、「物心がついたのは、80歳になってから」と語ることがあった。晩年のターニングポイントの一つは、2008年、86歳のときに初となるパリでの個展を開催し、成功させたことだ。以降、3年連続での開催を実現した。その際、展示を観に来たフランス国立ギメ東洋美術館のキュレーターが柚木の作品を気に入り、2014年には同美術館に70点余りの作品が所蔵されることとなる。 90代になって、体が思うように動かなくなっても “つくりたい” という情熱はずっと保ち続けた。その背景には青年時代の戦争体験によるところも大きい。戦時中の学徒動員で多くの同級生が亡くなり、生き残った自分は、彼らの分まで一生懸命生きるんだ、という使命感を強く抱いていた。だからか、老いていく身体に抗うことすら、まだまだ自分にはどんなことができるだろうと、半ば楽しみながら生きるモチベーションにしていた。どんな仕事も自分がやりたいと思えば、好奇心を持って取り組む。実際に、90代半ばを過ぎても展覧会の予定は数年先まで埋まっていたし、企業やブランドからの制作依頼も後を絶たなかった。
98歳のときの著書には、自身を「変身を繰り返し、その度に肩の力が抜けてゆき、幸せの手ごたえを感じながら仕事を楽しんでいる、今を生きる人」と表現。今ある生と時間、そしてつくることを貪欲に楽しみながら、「どう生きるか」にこだわり続けた。よく「ワクワクしなくちゃ、つまらない」とも語っていた。人生思い通りにいかないこともあるけれど、ユーモアを持って、面白がる。柚木が遺してくれた作品や生き様は、私たちが道に迷ったときに足元を照らす一筋の光となってくれるはずだ。
photo_Norio Kidera text_Chizuru Atsuta