名門再建の先へ 新体育館とともに作る「応援されるチーム」 最強の仕組みを 革新 徳洲会体操クラブの挑戦(10)
「『みんなよく練習するようになった』というのが率直な感想です。早い選手は朝の8時半ごろから体育館に来ているし、夜は7時までやり続けている選手もいる。僕が入ってきた頃にはなかった光景かもしれない」
メンバーの顔ぶれは若返り、チームの色は変わった。「僕は毎年、契約を切られないかヒヤヒヤしていましたよ。でも、それが良かった。〝プロ〟ってこういうもんなんだなって。甘えることがなかった」。つり輪のスペシャリストだった高橋も、この切磋琢磨の空気の中で全6種目の力を伸ばし、20年には個人総合で国内トップ10入りするまでに成長した。
■変わらぬスローガン
パリ五輪の金メダルとともに新たな練習拠点をオープンさせた米田は「とにかくその場その場を全力でやっている感じで、(状況に)付いていくのに必死。僕は応援される人、応援されるチームであることはすごく大事だと思っているんです。一生懸命取り組むから応援されて(環境などを)与えられて、そうしてまた頑張るというのが続いていく」。今の好循環を続けていけるのか、不安はあるものの、それ以上にやりがいを感じている。
「ここからどうなっていくのか僕も知りたい。低迷して監督を交代するのか。もう一段、チームを引き上げて何か新しいものが生まれていくのか。狭い体操界のことだけを考えるのではなく、視野は広げないと。8年後のブリスベン五輪に向けた仕組みを作りたいですね、勝ち続けられる最強の仕組みを」
体育館が変わってもチームスローガンの「世界を魅了する最強で最高のチームを目指す」は変わらない。グループから大きな理解と金銭的支援を得られている徳洲会体操クラブのような存在は、これからも体操界、ひいてはスポーツ界全体を牽引するような価値を創造していくことが求められている。=敬称略、おわり
(宝田将志)