『マルス-ゼロの革命-』は『3年A組』とリンクする構造に 吉川愛演じる香恋が目にした悲劇
“マルス”の中にいたクロッキー社のスパイが明かされた『マルス-ゼロの革命-』(テレビ朝日系)第5話。 【写真】『マルス-ゼロの革命-』第5話の場面カット(複数あり) 一人冷めた目でずっと相手の出方を伺うような視線をし、常に一歩引いて全体を見ていた貴城香恋(吉川愛)こそがクロッキー社の社長・國見(江口洋介)の娘だったのだ。そして、ネット上のデマを暴くことで人気を集める動画配信者「ミスターK」の正体でもあった。もちろんネット上のデマは良くないものの、それをまた別のネットの誰かが裁くことなどできるのだろうか。「ミスターK」の動画が公開されるや否や、昨日までヒーローと崇められていた存在が簡単に手の平を返され、「どんな言葉を浴びせてもいい対象」に変わり、アンチコメントがどこからともなく湧いてくる。これが現実社会であまりに日常茶飯事になってしまっている光景だということが何より恐ろしい。 ヒーローが転がり落ちる様子を見てみたいという下世話な大衆心と、正義という大義名分の下その裏を暴こうとする「ミスターK」のような存在は相性抜群だ。「ネットに蔓延る虚誕妄説に正義の鉄槌を!」「マルスを社会から排除せよ」と声高らかに掲げる「ミスターK」も公平性を保っているとは言い難く、かなり極端で偏りがあり過激だ。そしてこの手の配信者やそのフォロワーのタチの悪いところは、自分たちはあくまで“正しいことをしている”という意識の下、平気で人を傷つけていくことだ。 さらに“ゼロ”こと美島零(道枝駿佑)の大切な存在で、元祖・“マルス”メンバーだった倉科エリ(大峰ユリホ)も「ミスターK」の攻撃を受けていたようだ。溢れるアンチコメントに追い詰められ、“誰かがスマホを見ていると自分の悪口を書いてるんじゃないかと思って怖い”と言って自ら命を断ってしまう姿は、本作と同じく武藤将吾のオリジナル脚本ドラマ『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系/以下『3年A組』)で景山澪奈(上白石萌歌)が最期に漏らす言葉を思わず思い起こさせた。 國見は仮にクロッキー社が個人情報を流出させているとしても、それは“荒療治”だと言う。骨抜きになった若者が個人情報が流出したって“仕方がない”で済ませてしまうのは「想像力の欠如」だけでなく、自分自身に「オリジナリティーを感じていないから」だとする。『3年A組』で主人公の教師・柊一颯(菅田将暉)が口酸っぱく生徒たちに説いていたのは相手への「想像力の欠如」があらゆる問題を招くことだったが、それに加えて本作は「自分らしさ」を意識し、それを守ろうとすることの大切さも伝えようとしているようだ。 確かに、ゼロがイニシャルKという共通点だけで選んだ“マルス”メンバーだが、それぞれに“自分なんて”という感覚をどこかで持っている面々だ。 特に、やることなすこと全てが裏目に出るところのある二瓶久高(井上祐貴)と桐山球児(泉澤祐希)は、自分たちが見つけた唯一の居場所である“マルス”を守りたい一心で、香恋が仕組んだデマの罠に引っかかってしまう。「何をやっても空振りばっか」「誰かの何かになれた試しがなくて」とこぼす二瓶に、「だったら諦めないで。当たるまで振ろうよ。僕も付き合うから」と手を差し出した球児。確かに、自分が誰かにとっての特別な存在だと思える人は、同じく相手もきっと誰かにとって代えの利かない大切な人なんだと想像できる。そうすれば無責任にネットで顔の見えない相手を攻撃しようなんて発想に至らないだろう。 パパ活や闇バイトに続き、今話ではホストクラブの売掛問題が取り上げられ、デマを掴まされた2人のうち球児が最悪な最期を迎えてしまう。自分が発信したデマが原因で大切な仲間を失ってしまい、人一人が亡くなってしまったことを目の当たりにした香恋は「ミスターK」としての自身の活動をようやく現実と接続させ省みたことだろう。自らが掲げていた“正義”というのは、仲間一人守れないどころか仲間の命を奪ってしまう凶器であることを直に体感した彼女は、これからどうやって父親やこれまでの自分自身を見つめ直していくのだろうか。 そして國見が打ち出す日本人に植え付けられた価値観をひっくり返すほどの“国家転覆”計画とはどんなものだろうか。かけがえのない仲間を1人失ってしまった“マルス”はこの先どうなるのか。
佳香(かこ)