『ブギウギ』スズ子と愛助の“歳の差恋愛” トイレを巡って起きた笑いの愛おしさを考える
生理現象を当たり前に話せる関係性の良さ
人間が生きる上で当たり前にする排泄行為が話せるか話せないかは、結構恋人との心の距離感の指標になると筆者は思っている。話せない場合は男女としての関係が強くて、相手に引かれるのを怖がったり女(男)としての自分をよく見せたかったりするからで、ある意味「アイドルはトイレしない」みたいなめちゃくちゃなファンタジーを維持する気持ちの表れでもある。でもファンタジーは長続きしない。だからこそ、最終的には女(男)としてではなく一人の人間としての自分を愛してほしいと願うのは自然なことではないだろうか。 佐久間由衣主演の『“隠れビッチ”やってました。』という映画でも印象的だったのが、異性モテ命で生きてきたヒロインがようやく出会った本命彼氏に「すね毛攻撃~」とムダ毛を剃っていない素足を擦り付けていたシーン。これもまた、男女関係なく発生する(しかし女性はまるでないかのように努力する)生理現象を包み隠さず話すことでヒロインが人間として受け入れられていることに安堵する場面なのだが、それに近いものがスズ子の感動だったのではないだろうか。 普通ならこの時代を考えると女が“かわや事情”をあけすけに話すことは「はしたない」とか「汚い」とか言われそうだが、愛助は笑い飛ばしてくれた。その“女性はこういうものであるべき”という枠に囚われない彼にスズ子は感動し、思わずグッとその場で感じた愛を伝える。そしてまた笑い合って、「お腹がすいた」と言った。 それが排泄後でスッキリしたからだ、と説明されなくてもわかるのは作品を観る私も一人の人間としてその感覚を知っているからだ。ドラマで描かれる男女の恋愛がどうしても異性性を強調する展開での胸きゅんに走りがちな中で、こんな風に付き合った後のリアルな彼氏彼女の人間同士としてのやり取りが登場することは、非現実的な理想を持たせる以上にすごく意味深い。 世間から「歳の差」を指さされても、彼らが噂するような付き合い方と違う。むしろ、世間が勝手に作った価値観の外で誰もが隠したり恥じたりすることを堂々と話し合える二人は強いし、少しまだ恥ずかしがるスズ子に対して何も思っていない愛助はよっぽど大人だ。そんなお互い人として無理をしない付き合い方の先にあるからこそ“トイレ後の笑い”は尊くて、すごく愛おしいものなのだ。
ANAIS(アナイス)