大長編をゆるみなく高水準に─新国立劇場《ウィリアム・テル》開幕
新国立劇場のロッシーニ《ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)》(新制作)が11月20日に幕を開けた。オペラ・ファン注目の話題の公演だ。指揮は芸術監督の大野和士、演出・美術・衣裳は1944年生まれの巨匠ヤニス・コッコス。初日直前のゲネプロ(Generalprobe=最終の舞台総稽古)を取材した。 【画像】その他の写真 物語の舞台は14世紀のスイス。題名役である弓の名手ギヨーム・テルをリーダーに、民衆が、オーストリアの圧政からの解放のために立ち上がる姿、そして、もうひとりの主役であるアルノルドと、統治する側のハプスブルク家の王女マティルデとの、いわば敵対勢力同士の禁断の愛、それゆえの葛藤を描く。 この主要3役を演じるのは、ゲジム・ミシュケタ(バリトン/テル)、ルネ・バルベラ(テノール/アルノルド)、オルガ・ペレチャッコ(ソプラノ/マティルド)。現代を代表するベルカントの名手が揃った。 世界的なベルカント名手が顔を揃え、日本人歌手も含めて粒揃いのキャスト この3人にフォーカスしてオペラの聴きどころを追ってみよう。 まず第1幕には、テルとアルノルドが互いの真意を探り合う緊迫した二重唱〈どこへ行く?〉がある。バルベラが挨拶がわりにハイC(二点ハ音)を軽々と連発。 第2幕は、まさにこの3人が軸となって進む。まず、マティルドが愛するアルノルドへの思いをひとり歌うアリア(ロマンス)〈暗い森〉。ソプラノ・リサイタルで、しばしば単独でも歌われる有名なアリアだ。今をときめくスター・ソプラノ、ペレチャッコの、可憐でやさしく、美しい歌声。 そこに当のアルノルドが現れて、互いの気持ちを確認し合う二重唱〈そうです、あなたは私の目が洩らしてしまった秘密を〉になる。大野和士芸術監督が稽古初日の談話で、このふたりのラブシーンこそ、《ウィリアム・テル》がオペラたり得ている重要なポイントだと語っていた、作品全体の肝となる場面だ。 祖国スイスへの愛や自由よりもマティルドへの愛を取ると、あらためて決心したアルノルド。しかしその決意は次のシーンですぐに揺らいでしまう。 彼女が去ったところへテルがやってきて、ともに戦うようにアルノルドを説得する。アルノルドは、父親が敵に捕らわれ殺されたことを伝えられ、激しい怒りと絶望から復讐を決意。戦うこと、そのためにマティルドと別れる意志を示す三重唱〈なんだと?おお、人殺し!〉を歌う。 第3幕ではおなじみの逸話が描かれる。息子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射るという、あまりにも有名な例のエピソード。そのシーンにもちゃんとアリアが与えられている。的となる息子に向かって「神のご加護を祈るのだ」と言い含めるアリア〈じっと動かずに〉。チェロ独奏を伴って父親の威厳と不安が交錯する複雑な表情を、ミシュケタのヒロイックなバリトンが繊細に描き出した。 第4幕はアルノルドのアリアから始まる。敵に殺された父と暮らしたわが家を訪れ、復讐の意を強くするアリア〈先祖から受け継いだ安らぎの家よ〉。バルベラの力強くも美しい歌唱。最後のハイCも、これみよがしに誇張したりせず、清潔。前幕で捕らえられたテルの代わりに、自らがリーダーとなって民衆を勝利に導くことを決意する。 日本人キャストも実力派揃いで、テルの妻エドヴィージュに齊藤純子(メゾ・ソプラノ)、その息子ジェミに安井陽子(ソプラノ)、憎々しい敵の総督ジェスレルに妻屋秀和(バス)、他の面々。なかでも終幕でエドヴィージュが、夫と子供を失ったと思い込んで慟哭する場面の、齊藤の鬼気迫る表現は深く印象に残った。 グランド・オペラならではの、合唱とダンスのスペクタクル 19世紀フランスで流行した「グランド・オペラ」の初期代表作に挙げられる《ウィリアム・テル》。グランド・オペラ」様式の特徴のひとつとして大規模な合唱とバレエの要素は必須。 第2幕前半以外はほぼ出ずっぱりと言っていいぐらいの合唱が、濃厚な声のエネルギーを浴び続ける快感を与えてくれる。新国立劇場合唱団(合唱指揮=冨平恭平)の高水準なコーラスは、精彩かつ壮麗。 いっぽう、ダンスは第1&3幕に組み込まれている。オペラのバレエ・シーンによくある、取ってつけたようなバレエが唐突に挿し込まれるのではなく、物語の流れに沿った自然な使われ方。ただし今回は、13人のダンサーたちが、村人や兵士といった物語上の登場人物だけでないキャラクターも演じて楽しい。このダンス・シーンだけを切り出してもひとつの小品として成立しそう。ちょっと不思議なインパクトは見どころのひとつだ(振付=ナタリー・ヴァン・パリス)。 オーケストラは、有名な序曲だけとっても、しょっぱなのチェロ独奏や、〈静けさ〉の部分のイングリッシュ・ホルンとフルートのソロの掛け合いなど聴きどころ満載。3時間半を超える長尺の音楽を、大野がゆるみなくまとめ上げた。 静かに、しかし強く、自由の意味を訴えかける演出 舞台美術家としても活躍するヤニス・コッコスの演出は、派手ではないが美しい。頭上から繰り返し降りてくる矢じりは、(もちろんテルの使う弓矢に由来するわけだが)圧政・弾圧の象徴として民衆に突きつけられる。この逆三角形のモティーフは随所に使われていた。 テルたち民衆が勝利するフィナーレでは、当然アルノルドとマティルドも結ばれてハッピーエンド……と思いがちだが、コッコスは、「自分が属していた集団を捨ててしまったマティルドは、すべてを失い、まったくの孤独になってしまう」と述べている。それを示すように、民衆が自由を獲得して歓喜するラスト・シーンで、マティルドも舞台上にはいるものの、後方に離れて立ち、喜びの輪に交わることはない。王女でありながら革命に加担した彼女には、もはやどちら側にも居場所がないのだろう。 そして最後の最後。輝かしい自由と荘厳な自然を讃えるスケール大きな合唱の背景に、破壊された現代の建物が映し出される。ウクライナの映像だろうか。オペラの中で描かれてきたような対立が、時代を超えて現実世界でも繰り返されていること。あるいは、自由と正義のためであるとしても、戦いによって失われてゆく命があってよいのかという疑念。そんなことを訴えかけているように受け取れた。声高にではなく、静かに。 《ウィリアム・テル》は1829年にパリ・オペラ座で初演されたロッシーニ最後のオペラ。76歳まで生きたロッシーニだが、まだ37歳の時に発表したこの作品を最後に、以後オペラは書かなかった。 序曲(とくに最後の「スイス軍の行進」の部分)だけなら、知らない人がいないであろう超有名曲だが、全4幕、上演時間約4時間を要する大作ということもあって、オペラ全体の上演機会は限られてきた。 原語フランス語による舞台上演は今回が日本初。それどころか国内での演出付きフル舞台上演自体、日本初演だった藤沢市民オペラの上演(1983年、福永陽一郎指揮、粟國安彦演出/日本語上演)以外の記録がない。今回の上演が日本のオペラ史の新たなページを開くことになる。 新国立劇場のロッシーニ《ウィリアム・テル》は、11月20日に初日を迎えたあと、11月23日(土祝)、26日(火)、28日(木)、30日(土)の全5公演。東京・初台の新国立劇場オペラパレスで。上演時間は、第1幕と第2幕のあとの各30分の休憩を含めて約4時間35分。 取材・文:宮本明 ジョアキーノ・ロッシーニ ウィリアム・テル(新制作) 11月20日(水)~11月30日(土) 新国立劇場 オペラパレス