隕石の時計で「宇宙に触れる」 アントワーヌ・プレジウソ、唯一無二のものづくり
なぜ売れる?高級時計&ジュエリー 人気ブランドに聞く(1)
コロナ禍を乗り越えた世界の消費市場でファッション、アートなど高額品の売れ行きが伸びている。なかでも好調ぶりが目立つのが時計とジュエリーだ。主な原因は、不確実で複雑な時代と言われる今、資産としての価値が落ちにくく、2次流通が活発な点が評価されていることだ。だが、本当にそれだけだろうか。金銭的価値にとどまらず、エモーショナルな価値も改めて分析してみたい。そこで話題を集めるブランドのトップに、数々の逸品がなぜ消費者の心をつかむのか、その本質について聞いてみた。 【写真はこちら】テントウムシはどこに? 「とにかく驚かせたい」で作った時計の数々をチェック! 1回目に話を聞いたのは、個性的な複雑時計で世界の愛好家を魅了する「アントワーヌ プレジウソ」の最高経営責任者(CEO)、アントワーヌ・プレジウソさん。時計師として磨いた技術をもとに、手仕事を究めたユニークな製品が日本で注目されている。その時計は1本数千万円以上で、隕石(いんせき)やサファイアといった希少素材が使われていることに目を見張る。 ――高級時計市場の裾野が広がり、近年は独立系といわれる小規模ブランドへの注目が高まっています。時計師としてスタートしたプレジウソさんは、まさにこのケースに当てはまります。どうして時計に興味を持ったのですか。 「時計に関心を持ったのは7歳の時。時計関係の仕事をしていた父から、時計づくりの情熱を引き継ぎました。スイス・ジュネーブの時計学校に入学し、修復師として学んで技術と知識を得ました。その後、ある時計ブランドに入社しましたが、そこで工業的に時計を製作する道に進むのではなく、自分のブランドを立ち上げて本物の時計を作りたい、という思いを強くしました。独立したのは1981年です。しばらくの間は、人から預かった時計を修復して生計を立てていました。有名ブランドから修復や鑑定の依頼を受けたり、複雑機構の開発に携わったりもしました」
■中世の時計台との出合い 美しい1本針に衝撃
――1985~1986年にかけて、自身のブランドとして初のコレクション「シエナ」を生み出しましたね。誕生の背景は。 「イタリア系という私のルーツをたどり、トスカーナ地方のシエナを旅行していた時のことです。カンポ広場にあるマンジャの塔という時計台のてっぺんに付いていた、バロック様式の時計に目が釘付けになりました。まるで催眠状態に入ったように見とれましたね。1300年代に建てられた塔は当時のまま。中世の時計なので時針は1本だけです。ゆっくりと時間が流れているようで、その美しさといったらない。あの時計を自分の手首にはめてみたい、と強烈に思いました。それで家に戻るとすぐにプロトタイプを作ったのです。時計台そっくりに、1本針そのままのデザインでした」 ――シエナには独特の美観があります。やがて2針で作ってほしいとの要望が高まり、日本でも売り出されましたね。 「最初のシエナを作った後は、しばらく金庫に寝かせておきました。その後、1996年の時計見本市バーゼルワールドに出展した際、複雑時計などとともにシエナを展示したのです。それがある日本人の目に留まり、『他にはない時計ですばらしい。気に入った』とその場で注文を受け、150本をゴールドで作りました」 「そこから日本でシエナブームが起きました。マンジャの塔の時計台をそのまま再現したようなフォルム、レース調の美しい針。非常にエレガントな時計でした。その最初のブームから30年たった今、再びシエナへの関心が高まり、復刻版を2023年12月に発売しました。文字盤にはマザー・オブ・パールを採用し、初のステンレススチールモデルもそろえました。ケース径を初期モデルと同じ小径の34.5mmとし、文字盤のカラーは黒と白。初期の製品とほとんど変わりません」