主席より有名だったファーストレディ「夫人外交」をウォッチャーが解説
軍隊で少将の肩書を持つ歌手
東京であった日本・ASEAN特別首脳会議には夫人同伴で来日したASEANの首脳もいた。16日に、迎賓館赤坂離宮で、岸田総理夫妻が主催して歓迎晩さん会が開かれた。岸田総理の裕子(ゆうこ)夫人は、和服姿で賓客をもてなしていた。 夫人のファッションに焦点を当てて、ウオッチしてみると、彭麗媛さんはチャイナドレス、または中国の伝統をイメージしたスーツが多い。多くはスリットが入り、デザインも華やかだ。その彭麗媛さん、かつてテレビのインタビュー番組に、ゲストとして出演した時にこう話している。 「どんなところへも行きました。ラオスとの国境、ミャンマーとの国境、ベトナムとの国境、ソビエトとの国境、朝鮮との国境も…。輸送用のトラックに乗って…」 彭麗媛さんは、もともとは歌手だった。それも中国人民解放軍に所属する歌舞団の歌手。軍隊では少将の肩書を持つ。中国と周辺国との国境、あちこちへ行ったというのは、国境警備をする兵士への慰問。そこで厳しい任務に就く第一線の兵士に歌を披露して、慰労してきたということだ。 中国では旧暦の大晦日の夜。旧正月の元日前の晩に、中国版の紅白歌合戦が全国に向けてテレビ中継される。選び抜かれたミュージシャンだけが出演できる。そこにも出演したほどの人気歌手でもあった。 歌唱力に優れ、1983年に北朝鮮の金正日氏(=のちの総書記)が中国を初めて訪問した時に、金正日氏の前で、歌ったこともある。北朝鮮には『花売る乙女』という有名な映画があるが、その主題歌を朝鮮語と中国語で歌ったという。
「出身成分」がよくなかったと語る夫人
1980年、18歳で軍の歌舞団に入った。先ほど紹介したインタビューではこうも答えている。 「私はとても幸運でした。ちょうど改革・開放が始まった時でしたので、出身成分によって選抜されるという方法がなくなりましたから」 「出身成分」とは、社会主義国でいわゆる家庭の階級を指す。かつては資産家や地主もよくないとされてきた。以前、日本や欧米の国々と関係があったといものも。彭麗媛さんは続けてこう話している。 「父や祖父の出身はよいものではなかった。母もそうでした。また、叔父が台湾にいましたから。だから、本来なら軍には入れなかったでしょう」 どのように「出身成分」がよくなかったかを彭麗媛さんは語っていないが、父親は文革大革命の時に迫害を受けている。また、台湾にいる叔父とは、共産党との内戦に敗れた国民党の関係者なのだろう。「改革・開放」前だったら、共産党の人民解放軍に、自分はとても入れなかったということではないか。 その彼女がやがて、習近平氏と出会った。習近平氏が中国南部、福建省アモイ市の副市長だった1987年に2人は結婚。彭麗媛さんは結婚後も軍の歌舞団の歌手として活躍してきた。地方勤務が長かった夫の習近平氏は、ほとんど無名だったが、妻は「国民的人気歌手」。彭麗媛さんを知らない中国人は当時からいない。 先ほど紹介したテレビのインタビュー番組は2007年の放送。習近平氏が中央に躍り出る前のことだ。さすがにファーストレディになってからは、メディアのインタビューを受けることがなく、軍の歌舞団にも出演していない。本人もまさか夫が最高指導者になるとは思わず、インタビューを受けたのだろう。