櫻井翔が『笑うマトリョーシカ』で初めて剥ぎ取った“仮面” “対話”の願いが詰まった最終回
「わからない」と「わかろうとしない」は違う。いよいよ真相に辿り着いた道上(水川あさみ)の背中からそんなメッセージを感じた『笑うマトリョーシカ』(TBS系)最終回。これほどまでに、画作りとしてもこれほど“対話”に終始した最終回があろうか。 【写真】クランクアップカット 劇中にはない笑顔の玉山鉄二、水川あさみ、櫻井翔
※本稿は『笑うマトリョーシカ』最終回のネタバレを含みます
約50分間の間、カメラはほぼ道上か清家を追いかけていく。それは清家の「これからも僕を見ていてくださいね」という言葉に重なるようでもあり、2人の見る・見られるという関係を象徴しているかのような最終回になった。 浩子(高岡早紀)は清家(櫻井翔)を操るハヌッセンではなかった。そしてBG株事件には、前外務大臣の諸橋(矢島健一)だけでなく、総理大臣の羽生(大鷹明良)も関与していた。衝撃の事実が次々と明らかになる中、清家から「僕のブレーンになってほしい」という突然の提案を受けた道上は、真相究明への新たな糸口を見出し、受諾を決意する。 ことあるごとに道上に意見を求め、その考えを吸収して自分の言葉にする清家。「この国をより良い国にしていきましょう」と語る彼を目の当たりにし、道上は複雑な充実感を抱く。自身の意見が権力によって形作られていく快感と、真相に迫る使命感との間で揺れ動く道上の姿が、清家が権力を握ったこの国のあり方を問いかけているようだった。 そんな中、山中(丸山智己)は道上に、羽生と諸橋のBG株事件関与の証拠を即刻公開するべきだと迫る。政権と敵対すれば清家のブレーンを降りることになると悩む道上だが、山中の言葉に我に返り、「ブレーンとしてではなく、ジャーナリストとしてあなたとこの社会と向き合いたい」と清家に告げた道上。清家の側にいながら、真実を追求するジャーナリストとしての覚悟を示したのだ。 そんななか、和田島もBG株事件に関わっていたことが明らかになる「父はこれまで出会った人と違ったんです。僕をコントロールしようとしなかった」と語る清家。和田島と清家は、人に「操られる」という特異な才能を持つ点でよく似ていた。清家は和田島を唯一の理解者であり同志だと語る。 和田島は清家に「本当の自分を見つけてほしい」と願っていた。本当の自分とは何か。その問いに対する答えを、清家自身も、彼を知ろうとする道上と共に探していたのかもしれない。清家にとって道上は、自分を「見てくれる」存在だった。しかし、その認識を語る途中で、「僕にはハヌッセンがいて、その人のために日々職務にあたっている。そう、決めつけた」と静かに怒りを滲ませた清家。彼は他ならぬ彼自身の意思によって、自分をコントロールしようとする人物を利用していたのである。 「ヒトラーがハヌッセンを切ったとき、何を思っていたか知っていますか? 見くびるな、ですよ」 「見くびるな」。この言葉は、清家が11話にわたって発し続けてきた無言のメッセージだった。権力の頂点に立ちながらも、常に周囲から軽んじられることを恐れ、自己の存在意義を必死に模索してきた彼の内面が、ここに集約されていたのだ。自分が軽んじられていたことを知りながら、利用してきた人物たちを最悪のタイミングで切り捨てる。それは彼にとっての、復讐であったのかもしれない。 一番小さなマトリョーシカを握りしめ、怒りが入り混じった表情で「僕には僕がわからない。だからと言ってみくびられたくないんですよ」と吐露する清家。 これまで、彼の空虚さをうまく落とし込んだ「AIのような笑顔」と評されてきた櫻井翔の清家像。しかし、「見くびられる」ことへの怒りを滲ませた瞬間、その完璧な仮面の奥から、どろっとした人間性が溢れ出た。計算された表情や言動の裏に潜む、抑えきれない感情の揺らぎ。櫻井は、清家の内なる混沌を繊細かつ大胆に表現し、観る者の心を揺さぶった。 櫻井が全11話を通して見事に演じきった清家の姿。完璧を装いながら、実は最も人間的な弱さを抱えていたその姿は、「こう見られたい」という姿を容易に演じられるようになった現代社会の縮図でもあるように感じられる。理想の自分を演じ続け、本当の自分を見失いかけている我々の姿が、清家の中に映し出されていた気がした。 道上が去った後、震える手でマトリョーシカを片付け、涙する清家の姿は痛々しいほど生々しい。内閣総理大臣となり、憲法改正と緊急事態条項創設を実現した清家。彼はようやく権力の頂点に立ち新世界を作り上げたにも関わらず、なお満たされない何かがある。それは、失われた本当の自分、あるいは自己を映し出してくれる他者の存在なのかもしれない。 最後の回想シーンで「戻れるなら、あの頃に戻りたい。これが本当の僕なんでしょうか」と語る清家。この瞬間、彼は最も人間らしく、そして最も脆く見えた。清家という男が本当の意味で笑えるような結末はまだ先の未来かもしれない。しかし、対話を諦めず、真実を追い続ける人々がそこにいる。それこそが、このドラマが私たちに残した最後の希望なのだろう。
すなくじら