「戦闘機の編隊見て防空壕に飛び込んだ」 長野空襲を語り継ぐ集い
国民が普段の努力で平和を守る大切さ
大内会長は「私は満蒙開拓で旧満州に渡り苦労を重ねて帰ってきたが、小学5年生だった弟は空襲で壁の下敷きになって犠牲になった。こんなことがあっていいのか。平和を守るために頑張りましょう」と締めくくりました。 また、戦争と平和の問題を憲法との関係で講演した地元の内村修弁護士は、「先の戦争は国民のあずかり知らぬところで始まった。国民主権ではない明治憲法の下で始まった戦争だから国民が止めることができなかった。戦争をしないことは戦争にノーと言う人を国会に送ることで可能になる。それができるのが今の憲法で、そこが明治憲法との違いです」と、憲法を踏まえて国民が不断の努力で平和を守る大切さを訴えていました。 会場には須坂市の小原憲一さんが作った長野空襲のジオラマも展示し、米軍機が長野機関区を機銃掃射する様子などを生々しく再現。米軍機の馬力はゼロ戦の約2倍の2000馬力あり、発火する機銃の曳光弾(えいこうだん)がかやぶき屋根に当たると、しばらく時間がたってから屋根が燃え上がる現象もあった―などと詳しく説明していました。
------------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説