蓮沼城の歴史に光 小矢部・埴生文化連絡会 加賀藩ゆかり護国八幡宮と縁
●8月、解説ツアー 小矢部市埴生地域の住民でつくる埴生地域文化観光活用推進連絡会は、室町時代に城下町を形成していた地元の蓮沼城の歴史に光を当てる事業に乗りだす。加賀藩ゆかりの埴生護国八幡宮と縁が深いものの、現在は跡地を示す石碑が残るのみで往時の面影はないため、地元でも知る人が少なくなっていた。第1弾として現地を訪れる解説ツアーを企画し、埋もれた歴史を堀り起こす。 ツアーは8月17日に実施する。戦国史・中世城郭研究者の高岡徹さんを講師に招き、解説を受けながら石碑のある現地周辺を見て回る。引き続き、埴生公民館で高岡さんが講演し、県埋蔵文化財センターに所蔵されている蓮沼城周辺の出土品などを紹介する。 蓮沼は当時北陸道が通っており、小矢部川の水運に恵まれていた。倶利伽羅峠に通じる道路もあり、人や物資が集まって「蓮沼三千軒」と呼ばれる城下町が形成された。 八幡宮の参道の一部である108段の石段は蓮沼城主を務めた遊佐慶親が寄進した。約500年前に築かれ、南砺市福光地域の桑山石が用いられている。八幡宮の本殿は1600(慶長5)年、前田家2代利長が寄進し、拝殿・幣殿は1646(正保3)年に3代利常の手で再建されており、蓮沼城と八幡宮、加賀藩の縁にも触れる予定だ。 連絡会は埴生地域を紹介するパンフレットの作成を予定するほか、蓮沼城があった一帯を見渡せる眺望場所の整備も検討している。会長の吉田外茂治さん(75)は「埴生には名所旧跡が多い。蓮沼城と八幡宮との結びつきを知ってもらい、歴史を見直したい」と話した。 蓮沼城 越中守護畠山氏の守護代として砺波郡を支配していた遊佐氏が室町中期の永享年間(1429~1441年)に築き、居城とした。1585(天正13)年に加賀藩祖・前田利家が急襲して焼き払った。