桑江沖縄市長の足跡たどる 沖縄アリーナ建設し活性化に尽力 一方でキャンプキンザー倉庫群受け入れも
病気療養中だった桑江朝千夫沖縄市長が9日、68歳で亡くなりました。米軍キャンプキンザーの倉庫群などの移転を受け入れた一方、国から振興策を引き出し、県内最大の多目的施設「沖縄アリーナ」を建設など、市の活性化に尽力しました。 【写真を見る】桑江沖縄市長の足跡たどる 沖縄アリーナ建設し活性化に尽力 一方でキャンプキンザー倉庫群受け入れも ▼高橋真 県議 「病魔を克服して帰ってくると信じていただけにあまりにも早すぎるお別れで非常に残念です」 血液の細胞に異常が生じる「骨髄異形成症候群」の治療中だった桑江朝千夫市長の死去から一夜、10日の県議会では、元県議会議員でもあった市長の突然の訃報を悼む声が響きました。 桑江市長は沖縄市議を3期、県議を2期を経て2014年には沖縄市長に就任。 ▼桑江市長(2014年 初当選時) 「ダイナミックに私のビジョンを一つ一つ遂行して、この沖縄市に活力を出させます。全国でも目立つような派手な街にしていきます」 在任中には、若年妊産婦に居場所を提供する自立支援拠点の整備に取り組んだほか、嘉手納基地周辺の自治体として嘉手納町や北谷町と連携して基地負担の軽減を訴えてきました。 その一方で・・・ 米軍牧港補給地区の倉庫などの嘉手納弾薬庫・知花地区への移設受け入れを表明。 その条件だった振興策がカタチになったのが、今や沖縄市の顔とも言える施設です。 ▼桑江市長 「沖縄の経済に大きく貢献できる施設となると確信しております」 沖縄最大の多目的施設、沖縄アリーナ。 プロバスケの本拠地となり、ワールドカップの誘致も実現しました。桑江市長と同じ沖縄市議から政治キャリアをスタートした玉城知事は。 ▼玉城知事 「スポーツアイランド沖縄としての知名度を高める功績を残された。若者施策の充実や米軍基地の整理縮小など、協力しながら進めていきたいと考えていたが、それも叶わぬこととなり大変残念でなりません」 市選挙管理委員会は、市から市長死去の通知を受けて50日以内に選挙を実施する見込みで、来年1月の市長選が想定されています。
琉球放送