キラキラした街「港区」がゴキブリやドブネズミばかりだった1970年代…底辺漫画家が振り返る「仲がよかったのが“小指のない”おじさんで」
カチコミ、恋愛相談、絵を描く面白さを教えてくれた女性
基本的には、5人家族だったんですが、家にはどういうわけか、頻繁に親父の妹の綾子叔母ちゃんが寝泊まりしていました。はっきりとした理由はわからないけど、もしかすると、旦那さんと喧嘩をしたり、なにかお金に困ったりすると、うちの家に来ていたのかもしれません。 この叔母ちゃんは、もともと、子どもがいない家庭だったから、ぼくのことを自分の子どものように可愛がってくれました。とにかく世話焼きでおしゃべりで、小津安二郎の映画によく出てくる杉村春子みたいな感じの人。これ、あんまりわかんないかな。まぁ、温かい感じがする人でした。 ぼくが野球のボールを目に当てられてあざをつくって帰って来たり、自転車を小学校の上級生に借り逃げされた時なんかは、真っ先にぼくを連れてカチコミ、これはちょっと特殊な用語ですね(笑)、今流に言えば、きついクレームをつけに行ってくれた人でもあります。 親族で、唯一恋の悩みを真剣に相談できる、頼り甲斐のある女性でした。 絵を描く面白さを教えてくれたのも叔母さんで、絵画教室に通ってちゃんと学んだこともあるらしく、絵が滅法うまかった。それで、当時好きだった鉄人28号とかアトムとか、そういう漫画をたくさん描いてもらっていました。そのうまい絵を部屋中に飾って眺めたりするのも楽しかった思い出です。 残念ながら、綾子叔母ちゃんは、ぼくが30歳の時、若くして病気で早逝しましたが……。
ひょうきんでキュートな叔父の正体
もうひとり、うちの家族と仲が良かったのが、母の弟のよしあき叔父ちゃんです。顔は長渕剛に似てたかなぁ。小指が無いので、ぼくが「どうして指がないの?」と聞くと、ニヤッと笑って、逆手の小指を使い「ほら手品」って指をくっつけたり離したりしていました。ひょうきんなところがとってもキュートでした。 指の本数が少なかったので、「バルタン星人」と近所の子どもから呼ばれていましたね。でも、天衣無縫な人だったので、そんなふうにからかわれても、無邪気に笑うだけなんです。 ぼくには優しくて、お年玉なんかもびっくりするくらいくれる。彼がヤクザだって知ったのは大分後になってからで……。父親が借金をつくった時に「お前のとこのガキをさらうぞ」って、筋の悪い借金取りから脅しがあったときには、叔父ちゃんに相談し、ぼくの護衛になってもらったらしい。 もちろん、叔父ちゃん本人じゃなくて、若い衆ですよ。当時ぼくは何も知らなかったけれど、登下校の際、遠くの方でギラギラした感じのヤクザが護衛をしてたなんて……そっちの方がはるかに怪しい(笑)。 そんな、叔父ちゃんには、ぼくより5つくらい年下のN 君という息子がいました。人懐っこい感じで、くりくりした目が印象的で、童顔というんでしょうか。まさか、この子の親父がヤクザだなんて教えられないとわからない感じ。 当時はあまりそうした話をしなかったけれど、大人になってからヤクザを親に持つ苦労話をよく聞きました。やはり親父がヤクザだと、色々な経験をするらしい。 例えば、ベンツで首都高速を走っていた時に、トラックにあおられたことがあるそうです。 普通の人なら相手にしないが、そこは、ヤクザのよしあき叔父さん。首都高のど真ん中だというのに、ベンツを斜めに停めて、トラックを停車させる。その後、なぜかトランクに常備していた木刀を取り出し、トラックのドアを軽くノック。相手も根性の入った運ちゃんだから、勢いで窓を開けた途端、顔面に木刀を連打させたという。 その光景を見たN君は、「今日もまた長い1日になりそうだ」と、思ったそう(笑)。 そんな凄惨な光景を見て、冷静にそう思えるところが、さすがヤクザの息子です。 文/近藤令