『オクラ』は刑事ドラマの構造を変えた 反町隆史×杉野遥亮の“変則バディ”の今後に期待
『オクラ』のラスボスにふさわしい橋本じゅんの存在感
ラスボスと呼ぶにふさわしい存在感を橋本じゅんはまとっていた。「もしかすると」という程度のかすかな疑念を抱かせる瞳の奥のためらいや、不審な動きをコミカルな動作でまぎらわす矛盾した、それでいて不自然ではない挙動で、視聴者を煙に巻き続けた。ほんの少しの引っかかりが、最終話で背景が明かされることで完全な像を結ぶ。一度疑わせてシロと思わせてからの豹変であり、効果はてきめんだった。 幾多の独白は真摯かつおぞましいものだ。その目は屈折した純粋さと暗い光を帯びる。警察が担う正義とは何なのか。光あるところに闇が存在するように、正義の二面性を雄弁に物語っていた。未解決事件の真相を暴こうとした幾多は、ハイドアンドシークの内部に潜入した。そこで、殺人事件の時効を撤廃するために意図的に未解決事件が放置されていることを知る。時効撤廃のために国民感情を扇動し、今また防衛費を増額し、軍事関連の法改正を進めるためにテロを起こそうとしていた。 真実を隠ぺいするハイドと事件を“未”解決に導くシーク。「大義を果たすための犠牲によって秩序が保たれる」。目的と手段を混同していることに気づかない幾多。テロを止めるために人を殺めた千寿も同類かもしれないが、違うのは自身の過ちを自覚し、改められるかどうかだ。「この世界は人が人に正しくなきゃいけない」と千寿は言う。幾多はすでに止めることができなくなっていた。 オクラのメンバーの腕っぷしの強さは、倫子(白石麻衣)や祈里(青木さやか)、鷲沢(宇梶剛士)の経歴を考えると意外ではないが、こういう場面で生かされるのかとうならされた。千寿が利己に叫んだ「撃て」は、かつて結城が千寿にかけた言葉と重なる。首都爆破テロを阻止した直後、利己の拳銃から放たれた銃弾が千寿の身体を貫いた。 権力構造を上下のヒエラルキーではなく、二面性のあるハイドアンドシークとして描く本作の着想は秀逸だった。ダークヒーローという言葉さえ一面的でなく、ドラマの構造に揺さぶりをかけ、刑事ドラマの新たな可能性を示した。反町隆史の培ったバディイズムが随所で発揮され、制約の多い役柄で杉野遥亮はいぶし銀の深みを醸し出した。変則的なバディを終わらせるのはあまりに惜しい。続編に期待したい。
石河コウヘイ