『セクシー田中さん』問題、報告書で分かった日本テレビの拙速なドラマ制作と原作者軽視の姿勢
■ 原作者を「難しい作家」扱い さて、『セクシー田中さん』だが、昨年4月中に出演陣が決まり、脚本のプロット(骨子)も書き始められていたものの、日テレ制作陣が初めて芦原さんと会ったのはなんと7月16日だった。 ドラマプロデューサーはここにも問題があったと指摘する。 「制作陣は初期の段階で原作者と会い、『こういうドラマをつくりたい』と伝えるのが鉄則。その場での相手の反応が悪かったら、迷わずご破算にする。洞察力と判断力はプロデューサーに不可欠の資質ですから」 そもそも日テレ制作陣は最初から芦原さんの存在そのものを軽視していたフシすらある。それは日テレの報告書から窺える。 日テレ制作陣は小学館側との初面談だった昨年3月9日、小学館の社員から「原作者は以前、漫画のドラマ化で揉めたことがあり『難しい作家』(原作へのこだわりが強い作家)である」などと伝えられた。 以後、報告書には「難しい作家」という表現がしつこいくらいに登場する。4カ所も登場するページもある。一方で日テレが2007年に制作した同じ芦原さん原作のドラマ『砂時計』の制作関係者が、「大変いい人で問題なかった」と証言したとする下りもある。 ろくに会ってもいない同一の原作者を「難しい作家」と「大変いい人」に区分する判断基準は何なのか。改変を拒むと「難しい人」扱いとなり、自由に改変させてくれると、「大変いい人」なのか。それでは人間として扱ってないように思えるし、そもそも勝手すぎるのではないか。
■ 日テレと小学館、打ち合わせの大半はオンラインやメールで 一方、日テレと小学館の報告書を見比べると、制作期間の問題を抜きにしても今回のドラマづくりが杜撰だったことが分かる。 日テレ側は小学館側とのオンライン会議が行われた昨年3月29日にドラマ化の承諾が得られたと認識していた。しかし、小学館側は6月12日にドラマ化が確定したと考えていた。芦原さんもブログにそう書いている。 当事者のスタート地点の捉え方すら食い違うのだから、ドラマづくりがスムーズに進むはずがない。しかも、6月上旬の時点で芦原さんは「(プロットを見て)脚本を信頼できないと感じていたと思われる」(小学館の報告書)のだから、なおさら。それでも放送まで3カ月しかなくなっていたので、いよいよ引き返せなかった。 さらに、問題が深刻化した背景には日テレ制作陣と小学館側がオンライン会議やLINE、メールなどのデジタルツールに頼ったこともあると見る。両社関係者が会ったのは数えるほどだった。 日テレの報告書によると、昨年6月11日に小学館社員から日テレ制作陣にこんなメールが届いた。そこには第4回のプロット(骨子)について、芦原さんの考えが書かれていた。 「エピソード順番を入れ替えるたびに、毎回キャラの崩壊が起こって、ストーリーの整合性が取れなくなっている」 芦原さんとしては要請や指示の通りになっていないプロットや脚本を見て落胆を繰り返し、苛立っていたのだろう。一方で日テレ制作陣にとっても愉快なメッセージではなかったはずだ。 しかし、ともに議論したくても目の前に相手がいない。言い分があったら、機械的にキーボードを打ち、返信するしかない。双方とも鬱屈やストレスが溜まったはずだ。無機質な行為だから、やり取りを重ねても信頼関係は深まらなかっただろう。 それも遠因になったのか、日テレ制作陣は昨年10月上旬、芦原さん側に嘘を吐いた。芦原さんが小学館社員を通じて、脚本のあるシーンについて確認を求めると、既に撮影済みと回答した。 だが、本当はまだ撮影前で収録は5日後の予定だった。芦原さんから脚本の修正を望まれるのを嫌がった。信頼関係があり、お互いに言いたいことが言い合えていたら、こんな嘘は吐かずに済んだのではないか。 メーカーなどもそうだが、ものづくりにおいて雑談や無駄話は貴重。そこから信頼関係やアイデアが生まれる。しかし、日テレと小学館の報告書を見る限り、『セクシー田中さん』の制作現場にはそれがなかった。お互いにデジタルツールを用いて、必要な連絡しかしていない。