せっかく優秀なのに「全てが不足」で泣いた野戦重砲【92年式10cmカノン砲】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。 日本陸軍は、14年式10cmカノン砲の後継となる新しい10cmカノン砲の開発を、同砲の仮制式が決まるのと同時期に開始した。というのも、14年式10cmカノン砲は馬による牽引を意識した設計とされていたが、次世代の10cmカノン砲は、車両による牽引を念頭に置いて設計することで、より高性能化が図れると考えられたからだ。 さらに軽量化や最大射程の延伸といった技術的研究を加えながら開発が進められ、1935年に92式10cmカノン砲として制式化された。そして1939年のノモンハン事変が実戦初投入となったが、軽量化に腐心したあまり強度不足の個所が判明し、のちの生産型では改善されている。 ところで、本来の高射砲としてだけでなく、対戦車砲や野砲の代わりとしても優秀な成績を収めた十字砲架を備えるドイツの8.8cm高射砲シリーズの約7.5tという重量に比べて、92式10cmカノン砲は約5tと約2.5tも軽い。また、ソ連軍の100cm対戦車砲兼野砲BS-3は、本砲に類似した開脚砲架を備えるが、約4tである。 そして火砲としての性能面でみると、92式10cmカノン砲は高射砲としての能力こそないものの、対戦車砲としては十分通用する威力を有していた。ただし隔螺式閉鎖機による分離薬筒方式の装填のため、薬莢(やっきょう)式の8.8cm高射砲シリーズやBS-3に比べて発射速度は若干劣る。だがそれでも、威力からみればこれは大きな弱点とはいえない。 加えて射撃姿勢も、対戦車戦闘を意識したBS-3に類似して低く構えており、野戦陣地への展開にも向くといえよう。つまり、野戦重砲としての本来の使い方だけでなく、戦況によっては対戦車砲(あるいは直射用火砲)代わりにも使えるはずなのだ。 だが、このようにせっかく優秀な92式10cmカノン砲も、日本陸軍全体が抱えた問題によって、活躍をする機会を削がれてしまった。その原因は、今さらいうまでもないことだが、砲と弾薬の生産能力が劣弱で、おまけに前線までの兵站力に欠け、さらに戦場での機動性を担保する牽引車の不足にある。ゆえに生産数は約200門。8.8cm砲シリーズの約21000門、BS-3の約3500門に比べてあまりにも少ない。残念ながらこれが日本陸軍の現実であった。
白石 光