長期欠場の真相を明かした渡邊雄太…来季からは日本でのプレーを明言「自分の夢に向かって突っ走れた」
古巣での再起に燃えるも、障壁となった「メンタルの問題」
それでも古巣のグリズリーズで再スタートに臨んだ渡邊は、移籍直後のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で11得点の活躍。試合こそ敗れてしまったがバスケットの楽しさを再確認し、次のゲームにも備えていたが、2日後の試合当日に開かれたチームミーティング直前にコーチから欠場を言い渡される。 「その一言が、自分のなかで効いた。(前の試合で)それなりにやれたかなというのと、『次の試合も頑張る』と気合を入れていたので。今までも(試合に出ないことは)あったのに、そこできついなと思ってしまったんです。トレード直後でメンフィスのホテルに泊まってたんですけど、自分でも引くぐらい泣いて」 その出来事をきっかけに、NBAから離れ日本でプレーすることを考えるようになったと語る渡邊。残りの試合は「自分が活躍できてもできなくても、1分1秒を楽しんで終わろう」と心に決めて次のゲームに臨んだが、コートに立っても一切力の入らない状態に陥ってしまったという。 「『もう来シーズンから日本に帰るんだから、最後楽しんでやりな』と自分に言ってしまったので、そのフタが取れて今までのストレスや疲労が一気にきた、みたいな感じになりました。それがオールスターの直前で、(オールスターブレイクが)明けてからも症状は一切変わらず。普通に練習はできるのに、体が言うことを聞かない状態でした」 危機感を感じた渡邊はチームスタッフに相談し、球団からも手厚いサポートを受けられた模様。最初は右手首の治療にあたり、その後もメンタル面での症状が改善しなかったため、「個人的な理由」での欠場にステータスが変更されたという。 「僕はグリズリーズに感謝しかないです。『試合に出ない』という一言がきっかけになっただけで、僕の限界はもっと前にあったんだと思いますし、それでも20代は逃げないと決めてたので。終わり方はこうなってしまいましたけど、自分の夢に向かって突っ走れたかなと思います」 欠場中も練習には参加し、トレーニングに励んでいた渡邊はパリオリンピック出場を明言。NBAでのプレーを断念してから目標に掲げた今夏のビッグイベントに向け、一連の流れを説明するとともに意気込んだ。
BASKETBALL KING