ワークスチームも鳴かず飛ばずのアルピーヌF1、移籍の元重鎮は「トップ3を狙う熱意と意欲がなかった」と親会社ルノーを批判
アルピーヌF1でチーフテクニカルオフィサーを務めたパット・フライは、7月にチームを離脱してウイリアムズに同職として加入することが発表された。フライはアルピーヌを去った理由として、チームがトップ3を狙う“熱意”と“意欲”に欠けていたからだと明かした。 ハイライト動画|F1 2023最終戦アブダビGP 決勝 フライは1987年から1993年までベネトンに在籍。ベネトンは現在のアルピーヌの前身となるチームだ。その後マクラーレンで2度、フェラーリで1度キャリアを積んだ。 2020年にフライはアルピーヌに復帰したものの、3台のF1マシンを送り出した後、チームを去ることを決めた。 フライに併せて、同日にアルピーヌはチーム代表のオットマー・サフナウアーとスポーティングディレクターのアラン・パルメインの離脱を発表。その前にアルピーヌはCEOも交代しており2023年シーズンは大きな組織改編が行なわれた。 フライは短いガーデニング休暇を経て、11月初めからウイリアムズでの仕事を開始した。 チームを去ってから初めてメディアに語ったフライは、在任中にアルピーヌは良い進歩を遂げたものの、さらなるステップアップは難しいと感じたという。 移籍についてmotorsport.comがフライに尋ねると、彼は次のように答えた。 「私が在籍していた最初の3年間を振り返ると、我々はエンストン(のファクトリー)を劇的に改善させることができた。1年ごとに、我々はより良いマシンを作り上げたのだ」 「3台のマシンを並べると、それぞれが大きな進歩を遂げていた。チームが協力しあい、より良いモノを作り上げた。この3年間で成し遂げたことは、そこにいた全員が誇りに思うべきことだと思う」 「自分のキャリアをスタートさせた場所に戻って、それを立て直そうと思った。そして我々は本当によくやったと思う。遠い5番手から4番手になれた」 「でもそれ以上に前進しようという熱意や意欲は感じられなかった」 「私は3月初めに、物事を前進させると決めた。ただとどまっていたくはなかったし、何もできないのも嫌だった。私としては、それが立ち止まって前に進む瞬間だった」 「ひとつ言えることは、会社として十分にプッシュする体制がほとんど整っていなかったと思う。激しく攻めるだけの体制がきちんと整っていなかったのだ。1位になりたいと言うことはできる。しかし、それを口にすることと達成することの違いは、我々が知っているように、とてつもなく大きい」 足りなかったモノについて詳しく尋ねられると、フライはレースチーム側ではなく、親会社のルノーの問題だと示唆した。 「エンストンの運命は我々の手の内にあり、我々が手綱を握っていた」とフライは言う。 「そして良い仕事ができたと思う」 「オットマーがあの場所を修正する公平なチャンスを得たかどうかは分からない。比喩的な表現をすれば、ある程度は手を縛られたようなものだからね」 「でも私が言った通り、最初の3年間で成し遂げたことは、そこにいた全員が誇りに思うべきことだと思う」 「こういうことから離れるのはいつも残念なことだ。でも私としてはできる限りのことをしてきたつもりだ。そして楽にして、庭で日向ぼっこする時が来たのだ!」 フライがアルピーヌを去ることを決めた後、ウイリアムズのジェームズ・ボウルズ代表はフライを説得するのに数ヵ月を要したという。 「ジェームズは少し前から僕に話しかけてきて、僕がここに来ることを決めたのはそこから2~3ヵ月後のことだった」 「このチャンスに興奮しているのは、チームに前進させるために必要なことに取締役会が全面的に賛同してくれていることだ。必要な投資は惜しまないし、チーム作りをサポートしてくれる」 「そしてまた、イギリスの古い象徴を再現するのは素晴らしいことだ。ベネトンに戻って再建するというのは、私のロマンチックな考えに似ているね。これもまた、エキサイティングなことだ」 そしてフライは次のように続けた。 「ジェームズはここを改善しようと懸命に努力している。私が言ったように、取締役会は彼が前に進むのを全面的に支持している。それが私をワクワクさせてくれるし、我々が達成できることに制約はない」 「その時々にできるベストを尽くして、前へ進むだけだ」
Adam Cooper