玉鷲が第2子出産間近の2019年初場所で繰り広げたし烈な優勝争い「“私は大丈夫だから、あなたは相撲に集中して……”と」
元関脇・青葉城が持っていた通算連続出場記録(1630回)を塗り替え、大相撲に新たな記録を打ち立てた玉鷲。特別なスポーツ経験が無いまま19歳で相撲を始めたという、異色の経歴を持つ。16日に40歳の誕生日を迎えたばかり。そんな玉鷲のTHE CHANGEとは──。【第4回/全5回】 ■【画像】玉鷲が第2子出産間近の2019年初場所で繰り広げたし烈な優勝争い千秋楽の結果は? 玉鷲がようやく幕内力士として定着した2010年、師匠として厳しく、時に優しく、愛情たっぷりに接してくれた師匠(片男波親方=先代=元関脇・玉ノ富士)が定年を迎えたため、兄弟子でもあった元玉春日に師匠が交代した。 この時、玉鷲は25歳。力士として、男性アスリートとしてもっとも力を発揮できると言われる年齢だ。 「なんだか、あの頃はフワフワしていたというか、幕内力士になったことに満足して、相撲とちゃんと向き合っていなかった気がします。酒席でハメをはずしてケガをしたり、成績も振るわなくて、また十両に陥落するハメになってしまって……」 この頃、かねてから付き合っていた、妻・エルデネビレグさんと結婚。けれども、「奥さんのためにも、なんとか三役に上がりたい」という玉鷲の思いは空回りし続けていた。 ようやく新三役(小結)に昇進したのは、15年春場所のこと。66場所(11年間)をかけての新三役昇進は、外国出身力士として「最スロー記録」というオマケがついた。 「27歳から31歳くらいまでが、一番苦しかった。前よりも相撲への意欲が薄れたことで、自分の体の貯金が減っていたんです。“これじゃ、ダメだ!”。30歳から、もう一度自分を磨いて、もっとよくなる! もっと強くなる! と信じて、稽古に励むようになったんです」
第2子出産間近の2019年初場所でし烈な優勝争いに
「ようやく相撲の楽しさがわかるようになってきた」と語る玉鷲は、17年初場所からの2年間で、通算8場所三役を務めるなど、次第に「三役の常連」として、名を馳せるようになっていた。 19年初場所を迎えるにあたって、玉鷲には決意があった。第2子を宿している妻の出産予定日は1月中。 「生まれてくる子どものために、恥ずかしい成績は残せない」という強い気持ちである。 この場所の注目は、休場明けの横綱・稀勢の里の「再起」だった。ところが、稀勢の里は初日から3連敗の後、現役を引退。もう1人の横綱・白鵬は10日目まで全勝で優勝戦線を引っ張っていた。 関脇・玉鷲は5日目を終えて、3勝2敗と平凡な成績だったものの、6日目に巨漢の逸ノ城との対戦で圧勝すると、勢いに乗り始める。 そして、10勝2敗で迎えた13日目は、これまで一度も勝ったことのない、白鵬戦が組まれた。立ち合いから、荒々しく張り手を繰り出す白鵬に対して、負けじと張り返す玉鷲。 「張られて、張り返して、そこからはよく覚えていないんですが(笑)、土俵際で回り込んだ時には、“早く(横綱を)押さなきゃ”と、いつも以上の力が出たような気がしますね」 2敗だった白鵬は翌日、関脇・貴景勝に敗れて3敗になったことで、13日目を終えて玉鷲が優勝戦線の単独トップに立ったのである。14日目は優勝を意識するあまり、ガチガチに緊張する中、碧山に勝利。千秋楽、玉鷲が遠藤に勝てば、初優勝が決まるという展開になった。 14日目の取組前から、妻は出産のため、病院に入院していた。取組後は、自宅で病院からの「赤ちゃん誕生」を知らせる電話を待っていたのだが、ソワソワして眠ることができなかったという。 「心配で深夜2時に病院に行ったんです。妻からは、“私は大丈夫だから、あなたは相撲に集中して……”と言われて、いったん自宅に戻ったのですが、しばらくして“男の子が生まれた”という連絡が入って、朝6時に病院に舞い戻りました。妻と生まれたばかりの次男と少しだけ対面した後、朝稽古のために(所属の片男波)部屋に向かったのです」 遠藤に勝てば、すんなり優勝。けれども、敗れて3敗になり、結びの一番で貴景勝が大関・豪栄道に勝って3敗を守れば、2人の優勝決定戦になるという、スリリングな展開だ。 両国国技館に詰め掛けたファンは、玉鷲ー遠藤戦にクギ付けになった。 玉鷲 一朗(たまわし いちろう) 1984年11月16日生まれ、モンゴル・ウランバートル市出身。片男波部屋所属の現役大相撲力士。2024年の秋場所で大相撲の通算連続出場回数、歴代1位の記録を更新。スポーツ経験が特に無いまま19歳で相撲を始め、30代から力を付けたという、同世代のモンゴル人力士の中でも異色の経歴を持つ。身長189cm、体重178kg。血液型はAB型。最高位は東関脇。趣味は小物、菓子作り、人間観察。 武田葉月
武田葉月