“変わるキッカケ”を作ってくれた…5 年間フリースクールに通った男性 自分の道を見つけ巣立ちの春 「お世話になりました、独り立ちします」
■中学2年生の時、嫌々やってきたフリースクール「なんか楽しい」
理功さんがフリースクールに通うようになったのは中学 2 年生の頃。 【理功さん】「担任の先生が嫌やって、めっちゃ体育会系の先生やって。休んでたら次は、勉強ついていけなくなって」 不登校になり、部屋に引きこもっていたところ、口も利かなくなった母親に、半ば強引に連れて来られました。 【NPO法人ここ 三科元明理事長】「当時、見学に1日目来た時から、ブスーっとしていて、何を聞いても、ちゃんと答えてくれない。誰かを攻撃するとか、悪口言うとかはしない子だったので、傷ついた経験から自分を守っていたんやろうなって」 当初は身構えていたという理功さん。 【理功さん】「学校が嫌なイメージしかなくて、『スクール』って付いてたんで、また同じとこ行くんやぐらいの嫌なイメージで来たけど、『あれ?なんか楽しいな』と。イメージ変わって、ちょっと行ってみようかなと」
■自分の居場所を見つけて
周りは同じ境遇の子ばかり、コミュニケーションも取れるようになり、次第にここが“自分の居場所”に。 「フリースクールここ」に入って1年後には、勇気を出して自分の経験を発信しました。 【理功さん(当時 15 歳)】「(このフリースクールや僕のことについて)色々と知りたい事とかあると思うので、包み隠さずに…」 不登校の子供を持つ保護者向けの動画に出演したのです。 【理功さん】「こんなやつが人の役に立てるって、フリースクールに行ってたからやろなと」
人の役に立つ喜びを知り、後輩の面倒も見るようになりました。 仲間と趣味も見つけ、さらには遅れていた勉強にも精力的に取り組むようになります。 大学生のスタッフに教わりつつ中学1年の問題からやり直し、フリースクールに通いながら「通信制の高校」へ進みました。
高校生になると、学費とスマホ代を自分で払うためアルバイトも。 採用されたラーメン店では、これまでフリースクールでは経験して来なかった、“社会に出る厳しさ”を学びます。 (Q.初日の理功さんは?) 【吉岡マグロ節センター 土井喜貴店長】「『履歴書ってこんな感じっすか?プリクラ貼っても大丈夫っすか?』みたいな。いや、無理やろ!お前バイトなめてるやろ!って」 ここには、厳しい店長が! 【吉岡マグロ節センター 土井喜貴店長】「泣かしましたもん、『そこ座れ』って、こんこんと30分くらい。『なんでそんな嫌なことやんの?』って言うと、『その時、何も考えてなかったっす』って、いやいや、考えてないのはあかんやろ!と。道徳の部分がこの子知らんなって、こんな事されたら人嫌がるよとか、『自分が自分が』みたいな、自分のプライドがめっちゃ出ていて」