「もっと壁にぶち当たりたい」 歌舞伎俳優・中村隼人が10年前に思い描いた夢とは【後篇】
周回遅れを打破、浅草からヤマトタケルへ
――ありがたい話ですね。 はい。次の年の浅草歌舞伎で松也さんの松王丸、僕の源蔵という配役で『寺子屋』が上演されることになり、またおじさまに教えていただく機会に恵まれました。その時は面と向かっての稽古以外にもいろいろなことをお話してくださったんです。先輩とそういう時間を過ごしたことがなかった自分にとってそれは得難い経験でした。その時にもっともっと頑張ろう! という気持ちが湧いてきました。 ――ところがその直後にコロナ禍となり「新春浅草歌舞伎」も2年続けて中止。2023年に再開したもののさまざまな制限ありきでの開催でした。2024年はようやく活気ある公演になりそうですね。 嬉しいです。第1部で『与話情浮名横櫛 源氏店』で切られ与三郎を勤めさせていただくのですが、これも仁左衛門のおじさまに教えていただきます。僕たち若手には型のある時代物の方が入りやすく、自分は世話物の経験がほとんどないのですごく難しいです。与三郎は高校生くらいの頃に十五代目(市村)羽左衛門の写真を見て憧れ、いつか勤めてみたいと思っていた役なので精一杯勤めたいと思います。 ――彫りの深い顔立ちの二枚目だった十五代目は、仁左衛門さんや隼人さんと通じるものがありますね。第四期歌舞伎座が閉場(2010年4月)する少し前くらいでしょうか? 同世代の若手同士で憧れの役について話していた時代がありましたよね。 当時は難しさなどよくわからずに憧ればかりでしたけれども。 ――その当時に思い描いていた夢と現実の自分を照らし合わせて思うことはありますか? もう周回遅れじゃないですか? 例えば菊之助兄さんは僕の年齢ですでに『NINAGAWA十二夜』を実現されていましたし、同世代の先輩方は歌舞伎座で演し物をなさっています。僕たちの世代はまだ『仮名手本忠臣蔵』の通しもできていませんし、古典を勉強できる機会は圧倒的に少ない。本当にこの2~3年でどうにかならなければ! という思いがあります。 ――浅草の後は『ヤマトタケル』のヤマトタケルも控えています。 おかげさまで来年はいろいろと舞台が決まっているのですが、得たものを出すだけでない1年にしたいと思っています。もっともっと壁にぶち当たりたい! そんな気持ちです。
清水まり