「おなまえ かいて」崔善愛
ピアノコンサートの最後に私は、「エルズニアの子守歌」という短い曲をよく弾いている。ショパンが作曲したポーランドの子守歌の旋律に、ある少女の詩をのせたものだ。その詩は、こんな言葉で綴られる。 〈むかしちいさなエルズニアがいた 彼女はここで独りぼっちで死んでいった 父さんはマイダネクで、 母さんはアウシュヴィッツ―ビルケナウで死んだから〉 ドイツによる強制収容所で両親に先立たれた9歳の少女エルズニアは、この詩と旋律を書いたメモを自分の靴の中敷きの下に隠した。死後、発見され、ポーランド・マイダネク強制収容所跡の展示室では、この歌をうたう子どもたちの悲し気な調べが流れているという。 私がこのことを知ったのは、ホロコーストを生き延びた両親を持つエヴァ・ホフマンの著書『記憶を和解のために 第二世代に託されたホロコーストの遺産』(早川敦子訳、みすず書房)だ。 3月末、福岡市でのコンサート終演後、聴衆の一人でポーランド出身の女性がこう教えてくれた。 「母もこの歌をうたってくれました。私も娘にこの歌をうたい育てました。じつは娘の名前もエルズニアです。ポーランドでよく歌われているこの子守歌の旋律はたしかにショパンですが、マイダネクのエルズニアの詩は知りませんでした」 死ぬ前に自分の名前と詩を遺したエルズニア。およそ80年後の今、パレスチナの子どもたちが自分の名前を足に刻んでいる。 『現代詩手帖』5月号にパレスチナ詩アンソロジーが収録された。その中から、ゼイナ・アッザームの詩「おなまえ かいて」(原口昇平訳)を紹介したい。 〈あしに おなまえかいて、ママ くろいゆせいの マーカーペンで ぬれても にじまず ねつでも とけない インクでね (略) あしに おなまえかいて、ママ ばくだんが うちに おちてきて たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても あたしたちのこと あしがしょうげんしてくれる にげばなんて どこにもなかったって〉
崔善愛・『週刊金曜日』編集委員