「失礼な話だよ」落合博満42歳が巨人フロントにキレた「落合はおしゃべりが過ぎた」ナベツネは猛反撃…落合が拒否した巨人“残留オファー案”
落合「(清原は)阪神に行っちゃうぞ」
これには落合も、「このままなら(清原は)阪神に行っちゃうぞ。あいつは結局、巨人には縁がないかもね」と意味深な発言。長嶋監督と会うことも「言い訳は聞きたくない」と拒否して、フロント陣との直接交渉を要求する。15日夜から家族と静岡県の川根町に温泉旅行へ出かけた落合だったが、川根町のペンションには多くの記者が同行して、連日そのコメントが紙面を賑わせ続けた。 「最初はクビで、つぎは残留とはバカにされたもんだ。契約更改では、複数年を要求する。フロントの誰かがクビになるだろう。俺が巨人に来るときは、さんざんいいことをいわれたのに、手のひらを返したようだな」(週刊現代1996年12月14日号) さすがに複数年要求には深谷代表も「常識で分かるでしょう」と不快感を露わに。当時の川根町は携帯電話の電波が届かない地域で、スポーツ紙を介しての舌戦が続いた。だが、このままでは本当に落合も清原も逃すことになる。焦った巨人側は、長嶋監督が清原に永久欠番の「背番号3」の禅譲を明言。11月20日の2度目の交渉では、自ら出馬し「思い切って僕の胸に飛び込んできてほしい」と清原を口説き、3年契約で上限いっぱいの年俸3億4500万円を再提示する。後日、11年前のドラフトの件も、渡邉オーナーが「お父さんお母さんにまで悲しい思いをさせて申し訳なかった」と清原の両親も交えて謝罪したという。
ナベツネの反撃「落合はおしゃべりが過ぎた」
そして、東京に戻った落合が23日のファン感謝デーと球団納会に出席した翌日の11月24日午後4時、ホテルニューオータニの「鶴の間」で清原の巨人入団会見が行われるのである。一時は阪神の熱意に心が傾きかけるが、大阪の実家で母親から「あんたの夢はどこに行ったん?」と背中を押され、子どもの頃からの夢を追いかけることを決断した。緊張した面持ちで「命がけでやります」と決意表明する29歳の清原。もしも、このとき阪神を選んでいたら、いや師匠の落合と巨人で同僚となり多くの時間を共有して、さまざまなアドバイスをもらえていたら、男たちのその後の運命は大きく変わっていただろう。 その清原入団会見の当日、主役を社長室に招き入れて花束を贈呈したのが読売新聞社の渡邉恒雄社長だった。翌25日、東京・両国の両国国技館で開かれた横綱審議委員会に出席した渡邉は一連の落合騒動について、ついに怒りをぶちまける。 「落合はおしゃべりが過ぎた。清原問題を利用しようとする発言はいかん。若い選手をダシに使っちゃいかんよ。フロントのクビを飛ばすとか、よけいなお世話。俺が決めることだ。取り消してもらわんといかん。俺は2回も電話して、礼をつくした。それが今日に至るまでひとことも返事がないんだ。礼儀正しい態度じゃない。俺は球団にコーチ兼任がいいと勧めたんだが、本人がイヤといったらしかたない」(週刊現代1996年12月14日号)
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