「森のたまご」を全国のスーパーに出荷 鶏卵最大手が急転、倒産した理由
新型コロナウイルスの感染蔓延に対し、政府は担保なし、金利なしの「ゼロゼロ融資」によって資金を供給し、その間企業の倒産は急減した。しかしそんな「あぶく銭」はいつまでも続かない。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性 時代の変化に応じてビジネスモデルを変えられなかった企業は、円安、資源高、人件費の高騰などに見舞われ、たちまち資金繰りに窮することになった。そしていままた、破産、会社更生法・民事再生法適用など様々な形での倒産が急増している。 60年にわたって「倒産」の現実を取材・分析しつづけてきた日本最高のエキスパート集団が、2021~2024年の細心の倒産事例をレポートした『なぜ倒産 運命の分かれ道』から連載形式で紹介する。
鶏卵大手イセ食品グループの中核
鶏卵大手のイセ食品グループの中核企業・イセ食品株式会社とイセ株式会社は2022年3月11日、債権者(あおぞら銀行)と株主(伊勢俊太郎氏)から東京地裁へ会社更生法の適用を申し立てられ、同月25日に更生手続き開始決定を受けた。 同グループは俊太郎氏の父・伊勢彦信氏を実質支配者とする鶏卵業16社で、2020年3月下旬に取引金融機関に金融債務の返済猶予を要請し、私的整理手続きを進めていた。更生法を申し立てられるまでの経緯と真相を追った。
業歴110年、初代の育種から採卵へ
イセ食品グループの創業は1912年(明治45年)、2022年で110周年の節目を迎えた。富山の地で伊勢多一郎氏が「伊勢養鶏園」の屋号で創業し、育種改良に着手したのが始まり。明治以前は2日に1個の卵を産む鶏もいれば、時期により毎日卵を産む鶏もいるなど、鶏の種類でまちまちだったという。より多くの卵を産む鶏の育種に取り組んだ多一郎氏は、1年で365個の卵を産ませることに成功、黄綬褒章を受章した。ヒヨコの生産・販売を主軸にʼ62年、株式会社伊勢養鶏園人工孵ふ化か場として法人改組(後のイセ株式会社)したが、同年多一郎氏は亡くなってしまう。 本格的に卵の生産・販売に乗り出し、会社を大きくしたのは息子の伊勢彦信氏。彦信氏はアメリカの養鶏技術「オールイン・オールアウト」(同じ性質の鶏を一度に鶏舎に入れ、時期が来たらすべて出荷し衛生的な飼育環境を保つ)というシステムや、「ハイブリッド」と呼ばれる種鶏(ヒヨコ)をいち早く取り入れ、北陸だけでなく関東にも進出した。 ʼ71年に株式会社伊勢養鶏園人工孵化場の販売部門を分離・独立させ、フラワー食品株式会社を設立。ʼ82年にイセ食品株式会社へ商号変更し、同年1月期には年売上高約227億円を計上するなど、グループの中核企業となった。