「戦艦大和」の艦上で、若き乗組員たちが「激論」を交わし「殴り合い」までした「納得の理由」
なんのために死ぬのか
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。 【写真】戦艦大和のこんな姿が…! 呉工廠での最終艤装中の姿 そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。 本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。 吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。 やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。 その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。 同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。 たとえば、大和が4月6日に出撃する前後、乗組員たちは、自分たちはなんのために死ぬのか、ということについて激論を交わします。その切実な議論の様子は、同書より引用します。 〈痛烈ナル必敗論議ヲ傍ラニ、哨戒長臼淵大尉(一次室長、ケップガン)、薄暮ノ洋上ニ眼鏡ヲ向ケシママ低ク囁ク如ク言ウ 「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」 彼、臼淵大尉ノ持論ニシテ、マタ連日「ガンルーム」ニ沸騰セル死生談義ノ一応ノ結論ナリ 敢エテコレニ反駁ヲ加エ得ル者ナシ 出撃気配ノ濃密化トトモニ、青年士官ニ瀰漫(ビマン)セル煩悶、苦悩ハ、夥(オビタダ)シキ論争ヲ惹キ起サズンバヤマズ 艦隊敗残ノ状スデニ蔽イ難ク、決定的敗北ハ単ナル時間ノ問題ナリ──何ノ故ノ敗戦ゾ 如何ナレバ日本ハ敗ルルカ マタ第一線配置タル我ラガ命、旦夕ニ迫ル──何ノ故ノ死カ 何ヲアガナイ、如何ニ報イラルベキ死カ 兵学校出身ノ中尉、少尉、口ヲ揃エテ言ウ 「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナイカ ソレ以上ニ何ガ必要ナノダ モッテ瞑スベキジャナイカ」 学徒出身士官、色ヲナシテ反問ス 「君国ノタメニ散ル ソレハ分ル ダガ一体ソレハ、ドウイウコトトツナガッテイルノダ 俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全体ノ敗北、ソレヲ更ニ一般的ナ、普遍的ナ、何カ価値トイウヨウナモノニ結ビ附ケタイノダ コレラ一切ノコトハ、一体何ノタメニアルノダ」〉 〈「ソレハ理窟ダ 無用ナ、ムシロ有害ナ屁理窟ダ 貴様ハ特攻隊ノ菊水ノ「マーク」ヲ胸ニ附ケテ、天皇陛下万歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ」 「ソレダケジャ嫌ダ モット、何カガ必要ナノダ」 遂ニハ鉄拳ノ雨、乱闘ノ修羅場トナル 「ヨシ、ソウイウ腐ッタ性根ヲ叩キ直シテヤル」 臼淵大尉ノ右ノ結論ハ、出撃ノ直前、ヨクコノ論戦ヲ制シテ、収拾ニ成功セルモノナリ〉 * 【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。
群像編集部(雑誌編集部)