坂本龍一さんの死から1年、取材の点がつながった1本の線…改めて考えた生きることと死ぬこと
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> NHK 総合で7日に放送されたNHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を視聴した。番組を見終え、自分の中にある坂本龍一さんについて取材した幾つかの点が、線になって1本につながった。 番組は「20230326 亡くなる2日前」という文言から始まり、人工呼吸器を着けてベッドに横たわりながらも、斜め上に取り付けたスマートフォンに視線を送り、右手でピースサインを送る坂本さんが映し出された。スマートフォンには、坂本さんが13年に東日本大震災復興支援のために立ち上げ、16年に第1回を開催後、継続開催してきた「東北ユースオーケストラ」演奏会の東京公演の映像が流れていた。東日本大震災で被災した小学生から大学生までの団員の演奏をバックに、吉永小百合が朗読する姿に、坂本さんはOKサインを出していた。 記者はその日、映像に流れていた東北ユースオーケストラ演奏会東京公演を、会場のサントリーホールで取材していた。21年1月に直腸がんの治療を公表していた坂本さんは、闘病中のため出演しないことを発表していた。会場で、関係者に坂本さんの状態、状況を尋ねると、演奏会の生配信を視聴すると答えた。どのような手段で生配信するのか? と再確認すると、詳細については言えないが、坂本さんが生で演奏会を視聴できるよう配信の用意をした、との回答が返ってきた。 2時間15分の公演を終え、吉永が取材対応するということで楽屋に向かうと、ホワイトボードには、生配信を視聴した坂本さんがオーケストラに向けたメッセージが書かれていた。 「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れさまでした■」 Superbは英語、Bravissimoはイタリア語で「すばらしい」を意味する最上級の言葉で坂本さんは演奏を絶賛した。 演奏会から8日後の23年4月2日に、坂本さんの死が公表された。演奏会を生配信で見守り、あれほど熱いメッセージを団員に送った坂本さんが、わずか2日後の3月28日に亡くなっていた事実に、驚愕(きょうがく)させられた。 1年後の3月31日。同じ都内のサントリーホールで行われた「坂本龍一監督追悼 東北ユースオーケストラ演奏会 2024」を取材した。終演後に取材に応じた吉永は「オンラインで見ていてくださって、音楽を聴きながら指揮をされた、と…。坂本さんの東北ユースオーケストラへの思い、気持ち、温かさは最後まで続いていたと思う」と、生配信で演奏会を見守っていた病床での坂本さんの様子を、取材陣に明かした。「2日後に亡くなった。私たちに大きなものを残してくださった」と坂本さんに感謝しながらも、死から1年が経過しても悲しみは癒えず「(団員ら)皆で言っていたんですけど、天井の向こうに、坂本さんがいるって…」と涙。「神は意地悪で、坂本さんを、あんなに早く天国に迎え入れた…悔しい」と無念の思いが口を突いて出た。 一方で「その時(坂本さんは)相当、厳しい状況で、もし途中で何かあったら、どうしよう…絶対、黙っていようと思っていた」と当時の心中を吐露した。1年前の演奏会当時、坂本さんが終末期を迎えていたことを把握した中で吉永は朗読し、坂本さんの容体を気にしながらも終演後、我々記者には坂本さんの状況を一切、明かさない覚悟で取材に応じていたのだと知り、頭が下がる思いだった。 「坂本龍一監督追悼 東北ユースオーケストラ演奏会 2024」東京公演の1週間後に放送された「Last Days 坂本龍一 最期の日々」の番組内では、吉永が明かした、病床で演奏の生配信を見ながら右手で指揮していた坂本さんの映像も流れた。団員の演奏をバックに朗読する吉永の姿を見て「これは、やばい」と顔をクシャクシャにして感情をあらわにする、坂本さん…。その姿を見て、演奏会を聴きながら、坂本さんの状況を気にしていた、1年前の自分の脳裏がよみがえってきて、今とつながった。 番組の冒頭で「遺族に取材を申し込み、本人が書き続けた日記や家族が撮影したプライベートフィルムなど未公開の資料を提供」との紹介がなされた。20年12月8日の日記に肝臓に3センチ台の腫瘍が見つかったとつづり、同11日にステージ4のがんで余命半年と宣告されていたことなど、知らなかった事実が次々、紹介された。日記につづられた絶望、後悔…それでも病と向き合い、変な格好をすると免疫力が上がるというインターネットニュースを読んで、おかしな踊りをする坂本さんの映像まで流れた。 生きるって、何だろう…そして死と向き合った時、人間は何を思い、どう行動するのだろうか。さまざまなことを考えさせられた。 記者として、生と死と向き合う坂本さんの、ほんの小さな断片しか分かっていない、受け止め切れていないことは百も承知だった。その上で存命中も、亡くなった後も、時間が出来れば坂本さんの音楽を聴き、著作を読んでいる。生と死と向き合い続けた坂本さんを知ることが、1日、1日を生きていくことに、さらに真剣になれると思うからだ。「Last Days 坂本龍一 最期の日々」も、きっと繰り返し見続けるだろう。この文章も、その過程の、1つに過ぎないだろうと思いつつ、深夜の東京の空を見上げている。【村上幸将】