《ブラジル》日本の敗戦と「勝ち負け」抗争 《上》 警察とメディアが生んだ歪んだ虚像
「忘却」―つまり心からさっぱりと取り消す―意図的ではないかもしれないが、実にやるせない事実に対し、忘れてしまおうという選定が優先された。理解できる選択である。それは第2次世界大戦終了後に殺人事件まで起こしたといわれる、ブラジル在住の日本人によって結成された愛国組織、「臣道連盟」の事である。 警察当局によると、当組織は移民の約80%の支持を受けていたという。未だに研究者の課題として取り上げられているにもかかわらず、益々知られざる課題である。ゆえに、それについて議論することは挑発的、あるいは大胆な事だというよりも機を逸した、無意味なようにも思えるからだ。 厄介にすぎない。自分たちの親、あるいは祖父母や曾祖父母にしか知らない、私たちの生活に全く無関係な昔の話をなぜ今さら掘り起こすのかという事になりかねない。 一部の研究者が記禄している通り、おおかた模範的な人生の軌跡の中で起きた「拭われぬ恥」を意味するエピゾードであったからこそ、ブラジルの日系人はこの出来事に「白い沈黙」というベールを被せ、今でも尚歴史のその一頁の大部分が覆われていることを受け入れ、そのまま許し続ける立場が道理だとされている。
しかしながら日本移民がブラジルの歴史に刻んだ数多くの目覚ましい成果があったにもかかわらず、その中でこの出来事が最も印象的であったのは疑いの余地がない。それらの一連の出来事をできる限り正確に把握することにより、多次元性の様々な側面を理解し、当時―あるいは別の時代―に与えたインパクトに共感できるだろう。さらにブラジルにおける日本人移民の歴史がどのように築き上げられてきたかを知る為にも重要な課題である。 新天地を求めて地球の反対側からはるばると来た幾千人の人々にとって「恥」と化した「臣民の道連盟」、いわゆる「臣道連盟」の物語は今やたとえ事実や文書に基づいているにしても、信じがたい逸話のように聞こえるかもしれない。 1945年8月15日正午、天皇詔勅・玉音放送を通じて日本の無条件降伏が宣言された。そして同年9月2日に帝国日本政府(重光葵全権代表)は米戦艦ミズリー号の船上における無条件降伏調印式において署名し、ここに太平洋戦争は終結した。