再審信じる元被告の長男 滋賀・日野町事件、特別抗告から1年2カ月
滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性(当時69歳)が殺害されて金庫が奪われた「日野町事件」。強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役中に75歳で病死した阪原弘(ひろむ)・元被告の再審開始を認めた大阪高裁決定を不服として、2023年3月に大阪高検が最高裁に特別抗告してから1年2カ月がたった。元被告の長男弘次さん(63)は「間違いなく棄却決定になる」と再審開始を信じている。【菊池真由】 【写真で見る】袴田事件 東京高検が最高裁への特別抗告を断念 被害者は1984年12月に行方不明になり、翌月に同町で遺体で見つかった。88年3月、元被告は自白が決め手となって逮捕された。だが、刑事裁判で元被告は無罪主張に転じた。 元被告と弘次さんら家族の闘いが始まった。弘次さんは、「落ち込んだ父を励ますことが自分たちの仕事だった」と毎日のように大津刑務所に通った。刑務官と顔見知りになり、刑務所での元被告の様子を聞くこともあった。 元被告は自身の無罪を信じていた。 大津地裁の公判で法廷に向かう際のこと。元被告は「自分は何もやっていないから帰れる」と口にして、刑務所の中の自分の部屋をほうきとちりとりで掃除し、「お世話になりました。明日帰らせてもらうんで」と刑務官に伝えていたという。そして、法廷を出るたびに帰れないことを知ると、毎回肩を落としていたという。弘次さんは何度も「刑務所から出すからな、絶対帰すからな」と励ました。 だが、2000年に無期懲役が確定。元被告は自らの再審を請求した後の11年に病死した。その後も、「せめて父の名誉だけでも回復したい」と家族らは再審請求して闘い続けた。そして、逮捕から30年あまりがたった18年7月、大津地裁が再審開始を決定。この時の家族の驚きようを弘次さんはほほえみながら振り返る。 再審請求は一度は棄却された。今回もそのような結果になるのでないか――。当日、裁判所の書記官室で決定文書を前にしても家族の誰もがなかなか文書を開けられない。弁護士が決定文書の主文のページを開き、促した。最初に見た弘次さんの妹はその瞬間、しゃがみ込み泣き崩れた。弘次さんが「あかんかったんか」というと、妹が「違う違う、見てみ」。そこには「再審を開始する」とあった。「宙に舞っているような気持ちだった。父がいたら泣いて喜んだろうな」。 検察側は大阪高裁に即時抗告したが、23年2月に大阪高裁が再審開始を支持。大阪高検の特別抗告で審理は最高裁に移った。 逮捕から36年目を迎えた。喜びと落胆を繰り返し味わった弘次さんは、最高裁が再審開始を認めなかったり、大阪高裁に差し戻したりする可能性に触れ、「(そうなったら)世間はだまっていないと思う」と言葉に力を込めた。