【バドミントン】「どんなときでも、一戦一戦、目の前のことを乗り越えてきた」(廣田)「一戦一戦というのが、フクヒロらしい」(福島)〈ペア解消会見後半〉
――フクヒロの愛称でファンに親しまれたことについて 福島 「福島、廣田」と言うよりも「フクヒロ」と言った方が分かってもらえるくらい、いろいろな人に覚えてもらったと思います。今日、ペアを解消して、フクヒロとは呼んでもらえないかもしれないですけど、あらためて福島と廣田を覚えていただいて、応援してもらえればうれしいです。私にとっては、フクヒロファンというのが、大きな存在。応援してくれるファンの方々が多いとすごく感じていました。フクヒロは、その人たちのおかげで成り立っていました。 廣田 フクヒロとしてたくさんの方に覚えて呼んでもらえてうれしかったです。海外の試合でも「フクヒロ」と呼んでくださる方がたくさんいて、ホームのように戦えましたし、試合をしながら嬉しいと思っていました。フクヒロファンは本当に温かくて、どんな時も応援して励ましてくれる存在でした。ペアを解消しますが、また、ファンの人とふれあえる機会があれば、うれしいと思いますし、またファンの方の前でプレーを見せられるように自分も頑張っていきたいと思います。 ――2人の個人戦の今後は未定とのことだが、11月には団体戦のS/Jリーグが始まる。どのような気持ちで臨む? 福島 チームとしても、個人としても優勝を目標にやっているので、福島/廣田では出ないですけど、チームに貢献していきたいです。出た試合は、絶対に勝ち切る気持ちを持って、今後も練習に励みたいですし、チームに貢献できるように、頑張りたいです。 廣田 チームとしてもリーグ優勝を目標にやっています。リハビリ中で出場はできませんが、できることはあると思うので、チームの力になれるようにやっていきたいです。本当に、誰が出ても勝てるチーム作りをしていきたいし、みんなで「強い岐阜Bluvic」を見てもらえるように頑張りたいです。 ■今井彰宏監督 「最初は、ヘボかった。今のうちの新人の子の方が上手です。ただ、今朝も選手に話しましたが、五輪に行く選手に共通しているのは、負けん気が強く、志が高いこと。私の厳しい指導についてきたのも、志が高いから。それは、18歳のときから持っていました。スキルや経験が身につけばモノになる、夢や目標はかなうのではないかと思っていました。社会人になってすぐの頃は、国内で負け続けましたが、負けて強くなるペアでした。だから、結果が後からついてきているのではないかと思います。2人は、負けかけた、崖っぷちの試合を何回もひっくり返したペアでもありました。国体の決勝戦で、相手が勢いよく向かってきて、相手の流れの試合でしたけど、1ゲームを取られて、30-29でゲームを取り返した試合もありました。2016年の全日本実業団選手権で、2人が当時日本王者の髙橋礼華/松友美佐紀ペアにフルゲームまで競りました。髙橋/松友が金メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪に2人を連れて行き「次は、お前たちも絶対に行ける」と言葉を投げかけたことを覚えています。その年の全日本総合で髙橋/松友に負けました。福島が、髙橋選手にストレートスマッシュを3連発で打たれて、オンラインの球。さすが金メダリストだと思いましたが、そこから(髙橋/松友を追いかけて)2人が変わっていきました」 2人がペアを組んだのは、2013年に廣田がルネサス(現:再春館製薬所)に入社したのがきっかけ。一時的に互いが別のパートナーと試合に出場した時期もあったが、10年以上もペアを組んできた。2018年8月から19年4月、20年1月から21年12月までの間は、世界ランク1位に君臨。2017年から2019年までの世界選手権では、3年連続の銀メダル。2020年には権威ある全英オープン(BWFワールドツアースーパー1000)を初優勝。21年には、東京五輪に出場。廣田が右ヒザを負傷した状態だったが、8強入りの健闘を見せた。パリ五輪出場を目指す五輪レースでは、廣田が左ヒザを負傷。出場権を逃したが、最後までレースを戦い切り、多くの感動を呼んだ。世界の女子ダブルスに一つの時代を築いた名ペアだった。
取材・構成&写真/平野貴也