「歌姫」と最初に呼び始めたのは井上陽水だった? きっかけは1994年のカバーアルバム 常識とされた歌い方を根底から覆す
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】 ユニバーサルミュージックと契約して2年4カ月ぶりに発売(2002年3月20日)したアルバム「ZERO album~歌姫Ⅱ」は、中森明菜にとって文字通り復活ののろしとなった。音楽関係者が言う。 【写真】頭を丸めた明菜「歌姫2」のジャケット 「日本国内だけではなく香港や台湾でも同時発売されました。明菜の移籍に動いてきた寺林(晁)さん(ユニバーサル執行役員マーケティング・エグゼクティブ)の戦略だと思います。とにかくワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)を移籍してからは不遇の音楽活動でしたからね。リセットしたかったのでしょう。で、寺林さんは明菜を〝ボーカリスト〟として、アジアで認知を高めたいと思ったのでしょう。それが、あるいは『歌姫』という言葉に合致したのでしょう」 とはいえ、今では「歌姫」と呼ばれる歌手は多い。古くは美空ひばり、その後の中島みゆき、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、安室奈美恵らが挙げられるが「おそらくポップス系アーティストで〝歌姫〟と呼ばれたのは明菜が最初ではないでしょうか」(前出の音楽関係者)。 著書「ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~」で知られる音楽プロデューサーの川原伸司は言う。 「きっかけは1994年に発売された明菜の最初のカバーアルバム『歌姫』だと思います」と振り返り、その上で「明菜を〝歌姫〟と最初に呼び始めたのは(井上)陽水だったのかもしれません」と話す。一体、どういうことか。 「陽水は明菜さんのボーカルを評価し、デビュー間もない頃から〝好きな歌手〟に挙げていたことは確かです。明菜が『歌姫』を出すことが決まったとき、アルバムジャケットのタイトル文字を書いたのが陽水でした。そんな関係もあって陽水が〝歌姫〟と呼び始めた気がします。おそらく寺さんも、それが頭の片隅に残っていたのだと思います。ですから、移籍が決まったときに真っ先に私に『歌姫』の2をやろうと言ってきたのだと理解していました」 ある音楽評論家も「90年代に〝歌姫〟という表現を歌謡界に定着させたのは、やはり(美空)ひばりさん。しかし明らかな記録では残っていませんが、アーティストの代名詞として〝歌姫〟を冠として使うようになったのは明菜、あるいはテレサ・テンさんだったかもしれませんね」と指摘する。